美玲ちゃんの先生になって

自然や動物や子どもが大好きだった郁代が、大学で選んだのは教育学部でしたが、
世の中は少子化が進み、教員採用は冬の時代に入っていました。
在学中、外国に目覚めた郁代は、
その後教師の道へ進むことはありませんでした。

教育実習の学校は長田区の隣りの須磨区の小学校でした。

その時の受け持ち児童に囲まれた、
笑顔の「大浦先生」が写真に残っています。
一度でも、「大浦先生」になれてよかったね。
先生の道に進んでも、とても似合っていたでしょう。
こどもに好かれる先生になっていただろうなあ、きっと。

郁代が青春時代の四年間を過ごした神戸。
大学時代に住んでいた東灘区が、阪神大震災の最大の被災地となったのは、
卒業した翌年のことでした。

その時は父と二人で、お世話になった親戚の人を訪ねて、
線路伝いに“長田区の避難所”へ向かいました。

郁ちゃん、あなたならきっと今頃は、
長田区の『生田美玲ちゃんの先生』になって、
しっかり抱きしめてあげていることでしょう。

いっしょにうたを歌ったり、鬼ごっこをして、
楽しく遊んでいるでしょう。

教育実習での担任児童の作文が残されていました。

     
   大浦先生ありがとう     三年五組   橋元かよこ(仮名)

大浦先生、いつもわたしたちのそばにいてくれてありがとう。
大浦先生はとても明るい先生です。
ずっと良い先生でいてね。
大浦先生がいなくなるととてもさみしいです。
いろんなことがあったけど、みんな大浦先生が大好きです。
先生はチャイムがなってもじゅぎょうを続けて休み時間がなくなるけど、
わたしは、そんな先生が大好きです。

大浦先生は、びじんで、おひとよしで、かわいいから、
きっともてるとわたしは思う。
わたしも大浦先生みたいな人になりたいなと思います。
ときどき手紙を下さい。
わたしは大浦先生を一生わすれません。
わすれたくありません。
だってこんな良い人はいません。
だから大浦先生もわたしたちのことを、
いっしょうわすれないでくださいね。