「化鳥」

昨日、午後からのお天気が回復してきたので、
泉鏡花作品の朗読を聞きに出かけました。

浅野川に沿って歩くと紅葉がきれいでした。

朗読小屋 浅野川倶楽部は、
浅野川大橋”詰めにあり、ウオーキングでは毎回のように前を通っていますが、
中へ入るのは初めてです。

50人ほどで満席、真っ暗の中で ライトに照らされての朗読は、
芝居小屋の雰囲気充分です。

鏡花作「滝の白糸」「薬草取」に続き「化鳥」(けちょう)が始まりました。
一、二、・・・
そして、十二〈最終章)

日が暮れかかると、あっちに一ならび、こっちに一ならび、横縦になって、梅の樹が飛々に暗くなる。
枝々のなかの水田の水がどんよりして淀んでいるのに際立って
真白に見えるのは鷺だった。
二羽一ところに、三羽一ところに居て、
そして一羽が六尺ばかり空へ斜めに足から糸のように水を引いて立ってあがったが音がなかった、それでもない。
 
・・・・・

うつくしい人をたずねあぐむ、その昼のうち精神の疲れないうちはいいんだけれど、度が過ぎて、そんなにおそくなると、いつも、こう滅入ってしまって、
何だか、人に離れたような、世間に遠ざかったような気がするので、
心細くもあり、うら悲しくもあり、覚束ないようでもあり、恐しいようでもある。
嫌な心持だ、嫌な心持だ。

・・・・・  

どうもそうらしい、翼の生えたうつくしい人はどうも母様であるらしい。
もう鳥屋には、行くまい。
わけてもこの恐しい処へと、その後ふっつり。
しかしどうしてもどう見ても、母様にうつくしい五色の翼が生えちゃあいないから、またそうではなく、他にそんな人が居るのかも知れない、
どうしてもはっきりしないで疑われる。
雨も晴れたり、ちょうど石原もすべるだろう。
母様はああおっしゃるけれど、わざとあの猿にぶつかって、また川へ落ちてみようかしら。
そうすりゃまた引上げて下さるだろう。
見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。
だけれども、まあ、いい。
母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。
                          明治三十(一八九七)年四月

あっ、と思いました。

郁ちゃん、
ここへ来るとき、シラサギに出会ったのです。

なかなか難しい“飛翔”が撮れました。

あれは、亡くなったばかりの弟の「化鳥」だったのだ・・・と。
涙が出てなりませんでした。


泉鏡花 青空文庫で、ほとんどの作品が読めますね。

  
「化鳥」

   
「義血侠血」 (滝の白糸)