「サヨナラ」ダケガ人生ダ

ひよどりも“「サヨナラ」ダケガ人生ダ”と、さえずっている?

吟詠『帰雁』でEPOMさんがコメントくださった“人生足別離”は、次の詩にあります。
 

『勧酒』     
        于武陵(うぶりょう)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
 
   
        君に勧(すす)む金屈巵(きんくっし)
        満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず
        花発(ひら)いて 風雨多し
        人生別離足(た)る

井伏鱒二の名訳が有名ですね。

『酒を勧む』
        井伏鱒二
  
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
              (『厄除け詩集』)

『勘酒』とは、まさに「一期一会」を表している詩かもしれません。

「どんなに美しい花が咲いたとしても一時の嵐によって散ってしまう。
別れは決して避けることはできず、いずれ訪れてしまう。
だからこそ、今ここでの時間を大切にし感謝をしよう。
さあこの杯を取って祝福を挙げようではないか」

またこれらの詩を受け、詩人、劇作家である寺山修司氏は次の詩を残しました。

『さよならだけが人生ならば』
                  寺山修二

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
  はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
  やさしいやさしい夕焼けと ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家は何だろう
  さみしいさみしい平原に ともす明かりは何だろう
さよならだけが 人生ならば
  人生なんか いりません

さらに、カルメン・マキに贈った詩、
さかさまに読むと「さよならだけが人生だ」となるのです。

だいせんじがけだらなよさ』
                  寺山修二

さみしくなると言ってみる ひとりぼっちのおまじない
わかれた人の思い出を わすれるためのおまじない
だいせんじがけだらなよさ だいせんじがけだらなよさ

さかさに読むとあの人が おしえてくれた歌になる
さよならだけがじんせいだ
さよならだけがじんせいだ

先日お聞きしたばかりの、
鈴木大拙の言葉が思い出されました。

「生まれて 生きて死ぬ それだけだ」