「仏道に生きる 5」
いつもの散歩道、
考えごとしていたら道を間違えて、迷いこんだ崖下の小道。
真っ赤なからすうりが迎えてくれたよ。
迷わなかったら、あなたに出会えなかったね。
それが「煩悩即菩提」。
渋柿が自然に甘柿に変わるようなものですね。
これはお天道様の中に生かされている、大自然の中の生き物のごく自然な作用ですね。
仏道に生きる 御誕生寺住職 板橋興宗
き き て 金光寿郎
「仏道に生きる 4」に続きます。
金光: そうすると、例えば呼吸を調えますね。で、頭の中にはいろんな思いが湧いてくるだろうと思うんですが、湧いてくるのを相手にしたらダメですね。
板橋: こういう話しますね。古池を眺めておった時ですね、ボチャン!と、子どもが石を投げ込んだ。
そうすると波が立ちますね。静寂を破りましたね。
その時むかついて「誰だ、このバカ者が!」と、わぁわぁと追っかけていったとします。
それが今のテロのくり返しにつながる。今の世間ですね。
その次ぎに、ある種類の人が、
「うん、子どもが遊んでいるんだ。こんなことで腹立ってはあかん。ダメだ。そんなことではダメだ。子どもは子どもなんだ。ここでじっとしなくちゃ」という、
まあ言い聞かせて心を静めようとする。
これは道徳の範囲であって、いわゆる宗教の大部分でしょう。
それからもう一つ、宗教の抜け出したところで、「ボチャン!」と(扇子で机を叩く)こういう音が出たわけなんですね。
アッと驚きますよ。
驚きますが、それ以上どうこうもしないですね。
例えばお釈迦様でも道元禅師でも良寛でも、「バカ野郎!」となぐられたとします。
「おおッ」と驚きます。
驚かなかったらこれは変です。人間ですからその反応は微妙ですよ。
ですが、そこから追いかけるものがないですね。
そうすると、不思議なことに、驚きと不愉快な感情をそのままにしておくと、
いつの間にか喜びに変わるんです。
その喜びは、「あっはっは」と笑うんじゃない。
微笑(ほほえ)みなんですよ。
それが「煩悩即菩提」。
渋柿が自然に甘柿に変わるようなものですね。
これはお天道様の中に生かされている、大自然の中の生き物のごく自然な作用ですね。
渋いのがあるうちはまだ未熟なんです。
熟すと甘くなる。
渋さが渋いほど甘い柿になる。
だから悩みの大きいほど、解消する喜びも大きくなるんです。
ここが面白いですね。
・・・・・
板橋: そうですね。私は、仏教というのは宗教でないような気がします
俗にいう宗教ではないですね。
金光: そこでよく聞くのは、「ただ坐りなさい」と。
板橋: そうですね。「ただ」ですね。
金光: だから、坐ってどうこうなるんじゃなくて坐る。
板橋: これを(扇子で机を叩く)ポンというのを感じるわけですね。
それが「ただ」です。
なぜ死ぬの・・・?
生れたから・・・
というのがありますね。伺うところによると、禅師さんは、癌の手術をなさったそうですね。
板橋: そうですね。
金光: 死ぬということについては?
板橋: それは死にたくないね。いつでも元気でおりたいね。
こういう質問を受けたんですね。
「人間には運命があるんですか?」と聞くんですね。
生まれたら必ず死ぬという運命はあるよ。
「何故死ぬの?」というから、「生まれたからでしょうな」と答えたのです(笑い)。
板橋: 非常に誤解を受けますが、私の考えでは、お釈迦様は仏教を説いておられないと思うんです。
説法ということを、お釈迦様は自覚しておられないと思う
その時にその場に応じた、「さあ、そうか。ああ、よかったな」。
その時、その人なりに反応し、相談に応じておられたと思います。
その時、その人に反応しているんです。
反応というか、その時の真心で相談にのっておられた。
現代でいうカウンセラーでもあったのでしょう。
人生相談のカウンセラーであっても、お釈迦様は「解脱(げだつ)」されています。
ふつうの人々より一段高いところから、大局を見ぬいて相談されたと思います。
人々のストレスの結び目がどこにあるか見抜けたでしょう。
そこを上手に指摘し、その人なりの暗示を与えられたと思います。
お釈迦様は、ご在世中に文字には何も書かれていません。
しかし人々は、お釈迦様は、このようにいわれた、こういうことを聞いたということが、後の人々が、「われかくのごとく聞けり」と経典として残されたのでしょう。
そこから流派や宗派も出てきたものと思います。
人間は他の動物と違って、「ものごとを考える」知恵を身に付けました。
これが現代文明社会をつくりあげました。
その知恵の限度を知る英知がないと、人間が文明社会の奴隷になり、文明社会によって人間がダメになっていくでしょう。
特に原爆や水爆を持っています
これから本当の英知は「節制」の力でしょうね。
「足るを知る」知恵でしょう。さもないと、
「万物の霊長だと自慢していた人類はあんな惨めな最後になった」
と樹上のお猿さんたちから笑われることになりましょう。
これは、平成十九年十月二十八日に、NHK教育テレビの
「こころの時代」で放映されたものである