きれいにすきとおった風

きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむこと、
それらがすきな食べものです、と宮沢賢治は言っていますね。
今の時代心に沁みる言葉です。

書いた本人が忘れていた文章に出会って、
新たに感動することがあります。
 畑のかえるさんの記事から、以前書いた『注文の多い料理店』序を再読でき、うれしかったです。

畑中純 注文の多い版画展『宮沢賢治 銀河へ』より
注文の多い料理店』序

★ 『注文の多い料理店』序  宮沢賢治

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

 またわたくしは、はたけや森の中で、
ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。

 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

 これらのわたくしのおはなしは、
みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。

 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、
ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。

ほんとうにもう、
どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、
わたくしはそのとおり書いたまでです。

ですから、これらのなかには、
あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。

なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。

けれども、わたくしは、
これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、
あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。

            大正十二年十二月二十日   宮沢賢治