阪神大震災20年

阪神大震災から20年経ちました。

郁ちゃん
青春時代の四年間を過ごした神戸。
大学時代に住んでいた東灘区が、
阪神大震災で最大の被災地となったのは卒業した翌年のことでしたね。
金沢にいたあなたはすぐに被災地へ駆けつけ、
線路伝いに歩き続けて避難所へ向いました。
すぐに使える日用品を、リュックいっぱいに詰めて・・・。

同じ大学の一年生だったK君は、
金沢での成人式(15日)をすませ神戸へ帰った翌日被災し犠牲になりました。
一年前だったら私だったかもしれない・・・と郁ちゃんは、思ったことでしょう。

病状が進み、残された時間が次第に少なくなってきたとき、
遠い外国から順番に「お別れの旅」を続け、最後に訪れたのが神戸でした。
その頃家の中では、もう五分と歩けなくなっていたのに、
一人で出かけました。

“親戚の人”と、
「なつかしい神戸の街」を巡ったのでしたね。

“親戚の人”は、亡き義母の妹一家で終戦末期の神戸大空襲で被災、
義母のいたこの家へ疎開してきて二年間暮らしました。

そんなこととは露知らず、
その頃幼児だった私は金沢駅近くに住んでいたのですが、
やはり終戦末期の建物強制疎開で、母の実家のある能登疎開・・・
多くの人が時代の流れに翻弄されていたのです。

神戸の“親戚の人”は金沢が第二の故郷なので、
今でも毎年のように来られます。
そんなご縁が引き寄せたのか、時代はめぐり、
郁ちゃんにとって神戸が第二の故郷になったのでした。

阪神大震災の"希望"として生まれた曲
「しあわせ運べるように」、毎年聞いています。

「亡くなった方々の分も、毎日を大切に生きていく。
それが私たち生き残ったものの使命です」
この曲に込められたメッセージは、
各地の災害による困難を超えるための大きな力となって、
人々を勇気づけています。

しあわせ運べるように     作詞/作曲   臼井 真

一.
 地震にも 負けない 強い心をもって
 亡くなった方々のぶんも
 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
 支えあう心と明日への希望を胸に

 響きわたれ ぼくたちの歌
 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように

この歌は世界8ヶ国語­に翻訳され、
東日本大震災の被災地でも歌われています。

神戸を想い、あなたを想っています。