「38豪雪」

立春が過ぎてもいつまでも寒く、都心でも雪のようです。

新米教師1年目の兎追いし山の学校といえば、
38豪雪」(昭和38年)が忘れられません。
その年の1月、金沢では181㎝の記録的な積雪となりました。

除雪車もなく交通機関はマヒ、
学校までは雪をかき分けながら歩く、職員の集団登校でした。
で・・・学校に着くのはお昼頃、
昼食を済ませると汗をかいたシャツを裏返し(男性)、
そのまま帰宅の用意です。

次の日も、その次の日もですから授業になりません。

数日後、校長をはじめ10人以上の職員は全員“村の民家に分散して下宿”することになりました。
土曜日毎に、雪道を歩いて帰宅するのです。

当時の金沢の町は、
積もる雪と繰り返す屋根雪下ろしで、一階部分が雪で埋まってしまいました。
朝は雪に埋もれた家から外へ出るのに、まず玄関の中に雪を掻き入れ、
道路に登る階段を作る。
そのうち二階の窓から出入りするようになったものです。
手を伸ばせは電線に触れるほどでした。

38豪雪」ネットから借りました。

穴を掘って出入りしました。

金沢の中心部にある商店街です。

この年以上の雪が降ったことはまだありません。
どんなに寒い冬であっても、
「あの時と比べたら・・・」と、いまでも語り草となるのです。

さて私の下宿先はと言えば、何も知らなかったとはいえ・・・
またあした。