「蓮如上人ゆかりのお寺」で下宿

「38豪雪」、 ついに教員は村の民家へ分散しての下宿となり、
私のお宿は「本泉寺」に決まりました。

私が受け持った4年生のクラスに、本泉寺の息子さんがいたからでした。
このころ、お寺に関心があるわけでもなく、
本泉寺が蓮如上人ゆかりのお寺とはつゆ知らず、
雪に埋もれた“ひとしちゃんのお家”に泊まっていたわけです。

本泉寺

蓮如上人作「九山八海の庭」

雪で埋もれ外の景色は見えなかったとはいえ、
「九山八海の庭」に面した、
蓮如上人が泊まられた(?)一番良い部屋で下宿していたことになります。
何ともったいなく、ありがたい仏縁でしょうか。

今思えば『豪雪』に感謝、ですね。

あれから50年、
同窓会の席では教え子の“ひとしちゃん”ですが、
今は「本泉寺」住職として布教に大忙し、
仏教講座では私の師となって下さっています。

蓮如上人仰せられ候ふ。
信のうへは、たふとく思ひて申す念仏も、
またふと申す念仏も仏恩にそなはるなり。
他宗には親のため、またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。
聖人(親鸞)の御一流には弥陀をたのむが念仏なり。
そのうへの称名は、なにともあれ仏恩になるものなりと仰せられ候ふ云々。
          『蓮如上人御一代聞書(179)』

蓮如上人のお言葉が、温かく身近に感じられるのでした。

☆ 二俣「本泉寺」は越中瑞泉寺如乗(本願寺第6世巧如上人の子、
蓮如上人の叔父)が創立。
蓮如上人が宝徳元(1449)年から3年間滞在したとも言われ、
蓮如上人の旧跡として有名。
現在の境内には蓮如上人作と伝えられる「九山八海の庭」(県指定名勝)など、見所が多い。
その他、本泉寺には、南蛮屏風・かわうその献上したという長谷部国重作の短剣・蓮如筆のつぶら児の名号・
蓮如上人鏡の御影・帖外御文・文明開板正信偈和讃・
本泉寺開基仏などの品物が宝物として大切に保存されている。
なお南蛮屏風(「紙本着色南蛮渡来図」)は、県文化財となっている。

☆ 二俣は金沢の東部、医王山の美しい容姿にいだかれた山峡の集落。  
ここは、富山県の県境に近く、
尾山(金沢)から二俣を経て砺波の里にぬける道が、
加賀・越中を結ぶ最短通路であったことから、
この辺の処々に蓮如上人布教の足跡が見られる。