イランのアリーちゃん

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わたしの散歩道にある金沢大学には40カ国以上の留学生500人ほどが在籍していて、
家族で滞在される方も多いのです。

30年以上前になります。
高齢となった義父が永年運営していた保育園を新築することになり、
私が引き継ぎました。

保育園では、中国、台湾、韓国、インドネシア
イランの留学生のお子さんを受入れたことがあります。
その度に、簡単な会話の練習、宗教の違い、
禁止されている食材などについて勉強したものです。

お父さんは高学歴の方が多く大学院留学生、かなり日本語が話せますが、
後からやってきたお母さんや、お子さんは話せません。
お母さんはまず日本語教室へ通うことが多く、
お子さんを預かるのです。

韓国から来たウッチャン(4歳)は元気な男の子で、
園庭で何やら「ケグリ!ケグリ!」と追いかけるので、
”ケグリ”が“かえる”だとすぐわかりました。

ご一家は近くのアパートに住んでいて、料理上手なお母さんからよく招待され、
チジミをごちそうになったりしたものです。

アリーちゃん(5歳)、リターちゃん(3歳)はイランから日本にやってきたばかりで、
よく泣きました。言葉も通じず困り果てました。

郁代がたまたま大学の夏休みで帰っているときで、
二人を外へ連れ出し遊んでくれました。
こどもが大好きで遊ぶのが上手、
姉弟は次第に笑顔を取り戻していきました。

帰国する時、お父さんのムハンマド・アブドラッラーフさんが、
日本語で書いた手紙を下さいました。

「イランにかえって大学につとめます。
いつでもイランへあそびにきてください。
いくよさん、こどもとあそんでくれて、
ありがとうございました」

住所も書かれてありました。

お母さんは、木の実や何種類もの種が入ったイランのおやつを、
篭いっぱい持ってきて下さいました。

とても礼儀正しいご一家でした。

イランのアリーちゃん、リターちゃんは今頃どうしているでしょうか。

皆さんが平和の中で暮らせますようにと祈らずにはいられません。