山の上に登って

ブドウ棚

昨日の続きです。
 
「高いところにのぼると、いつもいるところがどんなところかをよく見ることができますね。
遠くに立って、自分を離れたところから、自分や自分のいるところを見ることが大切なんだと教えてもらいました」

藤本愛吉師は、よき人からの言葉をわかりやすく引用してくださいます。

『山の上に登って下を見ると、小高い所へ登って、自分の住んでいる町なり、家なりを眼の下に見る時の気持ちというのはね、
家の中にいる時とだいぶ違うでしょう。
家の中に住んでいる時は、ゴテゴテとした中で生活しておるんですから、
このことを思い、あのことを思い、絶えず騒ぎ回っておるわけですわ。
ところがそこに、小高い山の中に登って、そして自分の住まいのある町なり、
自分の家の中とかを見下ろす時には、全然心境が変わってくるでしょう。
静かな気持ちになって、日頃の生活が逆にわかってくるわけだ。

日頃、いつもこせこせとして生活しているけれども、
そういう日頃の自分の生活している、生活のすがたというものを向こうにおいて、高い山の向こうにおいて見下ろしてみる。
自己の生との、自己との距離。

この距離というのが大事なんですよ。時々山の上に登って、自分の生活を顧みなければならない。
自分の生活というものを、その時その時の思いによって、自分の生活のことをいうのでなく、自分の生活の全体像というものを眺めるということ。
 そういう、生活の全体を目の前に置いて、それを眺める。
その場合、自分の生活から、自分の心が高い所から見下ろすというかな、
そういう姿勢にならなきゃならない。
それを、自分の生活を客観的に見る、ということですね。

 そういう時間というものが私たちには必要なんだ。
そうしないと、その時その時の中に流されてしまうんだ。
つまり流転(るてん)の生なんていいますのはね、
これは本当に高い所から眺めるからわかるわけだ。
高い所から眺めて初めて、流転の生がわかるわけだ。  
                  (信国淳 のぶくにあつし)』

 「私たちが生きているというのは、みんなと一緒に生きているんです。
どこで何があっても影響し合っている。
だからこそお互いを大事にしていこうねと。
そういうふうに仏さまから、またなくなった人たちから願いがかけられているとお聞きしました。
そういうことを勉強させてもらっています」