都合のいい現実と都合の悪い現実


全休さんの仏教ブログ が、ピシッと教えてくださるので、
都合のいい現実と都合の悪い現実に、
“安心して”日々振り回されている私がいます。

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  人生はすべて与えられたものである。
  われわれの力で自分の将来を
  改革していくことは絶対にできない。
  だからわれわれは善も悪も与えられるところに
  素直に随順していけば、
  われらのいたるところに光がある。
  逆境もまた輝きがある。

  (曽我量深)


 念仏の日暮らしという。予定や期待がないから日暮らしである。
人生は求めなくともすべてが与えられてくるのであるから、
出された食事は文句をいわずに美味しくいただくのが、念仏の日暮し。

 わたしたちは、与えられた人生に好き嫌いを言って文句ダラダラ暮らしているが、頭の中の思いが「あれが好きこれが嫌い」と愚図っているだけで、
頭の外はまったく平和、なにも問題がない。

 与えられた人生にはなんの問題もないが、生身を生きているわたしたちには、都合のいい現実と都合の悪い現実がある。
だから、人生問題といって深刻になっているが、問題は頭の中で起きている。

 それとも気づかずに、問題は“頭の外”にあると錯覚しているから、それを顛倒妄想という。
ただし、妄想でもそれを動機に行為すれば妄想は現実となって、自業自得で苦悩、災厄というお釣りがくる。

 南無阿弥陀仏
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