山を下りられた親鸞

親鸞聖人幼少期に詠まれた 「夜半に嵐の吹かぬものかは」、 
9歳で出家得度して比叡山に入山されるときの逸話を、少し前に書いたばかりですが、
今回東本願寺参拝の翌日に訪れた六角堂(京都市中京区六角通)は、
比叡山を下りた親鸞に深いご縁があるところです。
京都の街中にありながら、訪れるのは初めてでした。

聖徳太子創建六角堂



 
親鸞上人は、建仁元年(1201年)29歳の時、毎夜叡山を下り、
この六角堂に百日参籠しました。

その95日目の暁の夢で、如意輪観音より「法然の許へ行け」との示現を得たのです。
その頃、法然は吉水で新しい専修念仏の教えを説いていました。

本尊は聖徳太子の護持仏といわれる御丈一寸八分(約5.5cm)の如意輪観世音菩薩です。秘仏なのでお姿は拝めませんが、厨子の前にお前立のご本尊がおられます。


親鸞はこのお告げによって法然の許へ行き、引き続きまた百日参籠して六角堂から法然の許へと通いました。

それから2年後、親鸞はまた夢で如意輪観音の声を聞きました。

「行者宿報設女犯・我成玉女身被犯
 一生之間能荘厳・臨終引導生極楽」

「志を持つ者よ、人であるが故に戒を破らざるをえない生活の中に仏道を開くのです。
私があなたの妻となりましょう。
そして、生涯あなたに寄り添い、必ずや極楽浄土へ導く救いの力となりましょう」

このお告げは今まで僧として禁止されてきた、妻を娶ることの肯定であり、
法然の宗教から逸脱させるものでした。

このように六角堂の本尊は二度にわたって親鸞にお告げを与え、
日本に新しい救いの教え・浄土真宗を生み出したのです。

親鸞

安置されている夢のお告げを聞いておられる姿「夢想之像」と
六角堂参籠の姿を自刻されたと伝える「草鞋の御影」

境内東北の池の隅に浮かんでいる建物は太子堂と呼ばれ、
またの名を開山堂ともいいます。

聖徳太子ご自作と伝えられる南無仏の像(聖徳太子2才の像)が安置されています。