唄を忘れた金糸雀
浜離宮恩賜庭園 10月桜
ベニバナトキワマンサク 銀座の街路で
〈折々のことば〉 196 鷲田清一
唄を忘れた金糸雀(かなりや…
唄を忘れた金糸雀(かなりや)は
うしろの山に棄(す)てましよか
いえ、いえ、それはなりませぬ
西条八十
八十には若い頃、象徴派の詩人として出発しながら、
老母、弟妹に妻と娘を扶養する必要があって、
詩を離れ、ひたすら生計を立てることに傾注せざるをえない時期があった。
自らへの責めと憐(あわ)れみが交錯する心の内を、
歌を忘れたカナリアに託した。
童謡「かなりや」の書かれた背景や反響については筒井清忠「西条八十」が詳しい。
(2015年10月19日)
唄を忘れた金糸雀は
後の山に棄てましよか
いえいえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は
背戸の小藪に埋(い)けましょか
いえいえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましよか
いえいえ それはかわいそう
唄を忘れた金糸雀は
象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮べれば
忘れた唄をおもいだす
(「唄を忘れたカナリヤ」西條八十「砂金」より)