七尾まだら

東京の同窓会では、友人の歌う祝儀唄“七尾まだら”に合わせて、
紋付、袴を持参したむっちゃんが舞台で踊りを披露、喝采を浴びました。
長男の結婚式でも披露されたそうです。

七尾まだら  能登の第九

会が終わるころ、
「三年後(傘寿記念)は七尾でやります!」
と幹事さん。

あれれ?
「これで最後だからぜひ出席してね」
東京からの熱いラブコールでがんばって集まったのだけど、
会場の「次は七尾で!」の熱気に押された模様です。

高校は和倉温泉のすぐ近くなのです。
これまでの同窓会と同じく「加賀屋」が会場になるのでしょうか。
「中学では加賀屋の現会長と同級生だった」という方も多いのです。

「その時まで元気かな?」
皆さん、胸の中でつぶやいたことでしょう。
私は3月生まれなので、記念の年は一年ずつ遅れるのですけどね。

七尾まだら 
能登半島の付け根、「口能登」と呼ばれる七尾は、まさに能登の入口。
応永5(1398)年、畠山満則が七尾城を築いた歴史があり、
畠山氏は8代、180年の繁栄をもたらしました。
しかし戦国の世、上杉謙信によって攻略され滅亡してしまいます。
そんな歴史ある七尾で古くから歌い継がれてきた祝儀唄が《七尾まだら》です。

この唄は大変重々しく、また格調高く歌われています。
特に座敷で紋付袴姿で勢揃いして、手拍子のみで朗々と歌われるシーンを目にします。
また、能登を代表するともいえる5月の七尾・青柏祭では、
「でか山」と呼ばれる山車の前で、やはり手拍子のみで歌われ、踊られています。

かつて藩政時代には廻船問屋が、正月11日の「起舟(きしゅう)」に、船頭や水夫を招待して祝宴を催したといい、その折りには大変厳粛にこの唄を歌ったものといいます。

ステージ民謡としては三味線に尺八を入れて歌われていますが、やはりこの唄は手拍子のみで、海の男達の唄といった雰囲気を醸し出しながら、朗々と歌われるスタイルが合うようです。

「まだら」という唄は、佐賀県の馬渡島で生まれたという《馬渡節》が元であるといいます。
現在でも能登を中心に北陸には残っており、伝承があります。
能登では輪島市の《輪島まだら》がよく知られています。
また、こうした唄が各地に運ばれ、富山・魚津市では《布施谷節》となったといいます。