「あのね、太陽というのはね・・・」

郁ちゃん
あなたを想い、足跡をたどってオーストラリアを旅したことがあります。
あなたが最後に訪れたエアーズロックの太陽は、
地平線から昇り地平線に沈みましたね。

朝日を浴びてエアーズロック



先日お寺で法話をお聞きしたのですが、
その時話された小噺から、エアーズロックを思い出したのでした。

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一人一人、今まで“見てきたもの”
“聞いてきたもの”
“話してきたこと”

そして何より“考えてきたこと”は、みな違います。

こんな小噺があります。

飛騨の高山に住んでいる男と、
伊豆の大島から、やってきた男が、
江戸の宿屋で同宿したことがあった 。
やがて二人の、口げんかが始まった。

その口論の争点は、
「太陽はどこから昇ってどこへ沈むのか」
ということについてであった。

飛騨の高山から来た男は、
「太陽は山から昇って山へ沈むものだ」と主張する。

伊豆の大島から来た男は、
「太陽は海から昇って海へ沈むのだ」と主張した。

両者は一歩も譲らない。

「山から昇る太陽を、
 ワシはこの目で見てきたんだ、
 うちの父ちゃんも見てきたし、
 うちのじいちゃんも見てきたんだ」
と高山の男が言えば、

伊豆の大島の男は、
「うそつくな!オレは海から昇る太陽を
 この目ではっきり見たんだ。
 毎日この目で確認してきたんだ」
どちらも、証拠を見てきている。

うそはついていない。

宿屋の主人が、「何事か」と、
二階にあがって、ことのいきさつを聞いてみた。

宿屋の主人大笑い 。

「あんたら、ばかですなぁ。
 何にも知らんのですね。

 あのね、太陽というのはね・・・
 屋根から昇って屋根に沈むんだよ。」

と言ったという。

これがオチなんですが、含蓄のある話です。

もしこの落語に、現代人が登場して
「本当は、太陽のまわりを地球が回っているんだよ」
てなことを言い出したら、
それこそ3人の男に、ばか者よばわりされるのは目に見えています。

同じ屋根の下に暮らす夫婦でも、
血を分けた親子でも、
お互い分かり合えないものがあるのです。

「独生、独死、独去、独来」、人はみな一人ぼっち。
そんな人間同士が支えあって、ようやく保っているから、
少しでも分かり合える人がいたら、とても幸せなことなのです。
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夕陽を受けてエアーズロック