杭が溺れた幼児を救った話

いつも歩く川のほとり、私の散歩道が写っています。

      
         北国新聞   2016.1・8

今年初めての友禅流し浅野川で行われとの記事でした。
黒留袖の反物を杭に固定し、生地に置いたのりを冷たい水で洗い流します。

みなさん目につくのは美しい花模様ではないでしょうか。
私は・・・溺れた子供の命を救った「杭」に食い入りました。
あの時を思い出したからです。

以前にも書いた「助かったいのちの物語」、まだの方は読んでみてください。

2003年、7月とはいえまだ肌寒い日のこと、
いつものように河川敷の道を歩いていましたら、
「たすけて〜」
の声が上流から聞こえてきます。

声のする方を見ると、
川の中央あたりで赤い服の子供がなにやら杭につかまっています。
スイミングに親しんでいる私には安全に助けられる状況…

その子は階段を下りて水辺に近づいたのでしょう。

いつもはこのように流れが穏やかな現場ですが、
その日、雨上がりの川は濁流、増水していました。

「助けてあげるからね〜」といいながら、
ぬるぬるとすべる石に足を取られないよう、
流れの中を慎重に進みました。
冷たい水は私の胸まであり、
子供の手がいつ杭を離すかわかりません。
でも「三年生くらいなら、まだ大丈夫だろう」とあわてませんでした。

胸に抱きかかえて岸に戻ったら、
間もなく救急車や消防車がサイレンを鳴らして何台も集まってきました。
誰かが通報したのでしょう。

川に落ちて流された時、腕にひっかかるものがあり、
子供が偶然つかんだのは、
友禅流しに使う杭だったのです。
後でわかったのですが、
3年生ほどと思っていたその子は5歳の男の子でしたから、
時間との戦いだったわけです。

あの時、あの場所を通ったのが、どうして泳げる私だったのでしょう。
通ったのが5分前でも、5分後でも助からなかったかもしれません。
どうしてあの時だったのでしょう。
いくら考えても不思議でなりませんでした。

数え切れない、たくさんのご縁の積み重ねがあって、
たまたまそこを私が通ったのでした。

郁代が身体の異常を訴えたのは、その年の暮れに帰国した時でした。

助かった子供の命も、救われなかった郁代の命も、
賜った命でした。

助かった子どもさんは、
今年あたり成人式を迎えるのではないでしょうか。