京都へ

五年前の旅行一日目、保津川下りの前日の記事、
こちらもすっかり忘れていたので、再度読めてよかったです。
私の場合、
自分が後で読み返すためにブログを書いているのだ、と思っています。

東本願寺 御影堂の屋根


こんな文章でした。
・・・・・
グループで、京都へ行ってきます。
今日は、東本願寺へ行きお参りします。

糸井重里    
   親鸞という人は、
   世間一般で言われていることとは
   逆のようなことばかりを
   例えば
   「善人なほもて往生をとぐ、
    いわんや悪人をや」
   ですから、親鸞の言っていることを
   もっと知りたいという気持ちが
   僕たちは、強くなっていく。

吉本隆明
   そうですね、
   親鸞は、言っていることがすべて
   知識的に、逆説のように見えるんです。
   
   例えば『歎異抄』の中で、唯円親鸞
   「我々は浄土教ですが、
   浄土というのは、
   死んでから行くことのできる
   安楽ないいところだといいます。
   しかし、私は急いでいきたいとは思わない。
   それは、なぜでしょうか」
   と質問した、という場面が出てきます。

   すると、親鸞
   「俺もそうなんだ」
   って、答えた。

糸井
   それは‥‥ものすごいことですね。

吉本  うん、すごいことなんです。

   弟子の唯円のほうも、坊さんなのに、よくも、
   「ちっとも浄土へ行きたい気がしない」なんて
   率直に言いますよね。
   たいへんな人だなと思うけども、
   親鸞は「俺もそうだ」って、さぁ、
   そいつはすごい。

   親鸞はどうして「俺もそうだ」と言ったのか。
   浄土があんなにもいいところだと、
   ちゃんとお経にも書いてあるのに、
   どうして行きたくないんだろうか。

   親鸞という人は、そのことについても
   答を即座に持っていました。

   親鸞は、生きているこの世は
   「煩悩の故郷」である、と言うんです。
   人間の煩悩は、いまいるこの世に
   執着を醸し出すものなんです。
   
   だから、煩悩ある人間にとっては、
   いくら「安楽な浄土だ」と言われても、
   そこへ行きたくない、この世にいたい、
   と思うのは、普通なんだよ、ということなのです。
   親鸞は、そういう言い方で
   弟子に即座に答えるわけです。

   こっちは、もう感心のしっぱなしです。
   うわぁ、すごいことを言う坊さんだ!
   まぁ、坊さんというか‥‥
                    (親鸞対談より)