光顔巍巍
「納棺夫日記」3章によく出てくるお経の言葉、
「光顔巍巍」(こうげんぎぎ)・・・。
そのとき、釈尊のお顔は尊く光り輝いておられた。
郁代はがんを発病したとき、どれだけのショックを受けたでしょう。
結婚を目の前にした将来の夢あふれる時でした。
再発がわかり、残り時間に限りがあることを知った時、どれほどの絶望感に打ちのめされたことでしょう。
「もっと健康な身体に生んでほしかった」と親を恨んだこともあったでしょうに、口には出しませんでした。
ある時、ふっと言ったのです。
「家族のやさしさがわかったことが、病気の辛さよりありがたいことやわ」
身のまわりの物も、人も、過ぎ去った出来事もみんな輝いていたのではないでしょうか。
それは、全身が衰弱し身動きがとれなくなった時でした。
「これまでよくがんばったね。よく辛抱したね」と私が言った時でした。
青木新門さんが臨終の叔父さんと交わした、
「ありがとう」「ごめんなさい」の不思議体験。
その後も光にあう不思議は続きます。
<何も蛆(うじ)の掃除までしなくてもいいのだが、ここで葬式を出すことになるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。
蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆たちが鮮明に見えてきた。そして蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱によじ登っているのまでいる。蛆も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた>
<生死一如の眼にしか蛆は光って見えないのである>と。
「納棺夫日記」では、ここが一番書きたかったことだと青木さんはおっしゃっています。
本木雅弘さんが一番感動した場面であり、15年の歳月を経てアカデミー賞「おくりびと」につながっていきました。
郁代の柔らかな顔が浮かんできます。
きょうも光はあたたかく、空は澄みきっています。