「満月交感ムーンサルトレター」

最近、不思議なご縁を頂いた一条真也さんの新刊
「満月交感ムーンサルトレター」(水曜社)を読みました。


出版社の紹介では、
「満月の夜、宗教哲学者 “鎌田東二” とハートフル作家 “一条真也” が交わす神話・儀礼・宗教・芸術・哲学・民俗・社会の話……。
ドラッカーから村上春樹まで縦横無尽!一刀両断!」
とあり、ちょっと難しそうだなあ・・・。


「まえがき」を読むと、
満月に吠える二匹の狼が 世直しめざす人にばけたり   一条真也
と書かれていて、著者の思いが伝わってきました。
第1信が2005年10月
ああ、郁代が旅立った2か月後に始まっている・・・と思ったのでした。


ところが読み始めるやすぐに折口信夫です。
一条真也さんは鎌田東二先生のことを「現代の折口信夫」としてイメージしていたとか。
これだけでもう、引き込まれてしまいました。


私は七尾市中島町の実家への行き帰り、
羽咋市一ノ宮町にある、折口博士父子の墓を何度か訪れました。

  「もっとも苦しき たたかひに 最くるしみ 死にたる
   むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその 父 信夫の墓」
 これは、折口信夫が折口春洋の死を嘆き、自ら墓碑を選定、
昭和24年に春洋の生家藤井家の墓地に建てたものです。
 独身の折口は、門弟で羽咋出身の藤井春洋を養子に迎えましたが、
春洋は入籍間もない昭和20年3月に硫黄島で戦死しました。


そして、第五信では、
大好きな街ですが、もっとも愛する作家である泉鏡花が愛した東茶屋街が特に気に入っています。
夜、浅野川のほとりを散歩していると東茶屋街の灯りがぼんやりと闇の中に浮かびあがってきて、
まるで鏡花が描いた物の怪たちが支配する異界のイメージそのものです。
わたしの晩年は・・・浅野川を望む場所で、鏡花の如く幻想小説を書いて余生を送るのが夢です。・・・・・
と一条さんは書いておられます。


我が家から浅野川沿いに東茶屋街までは4キロ、
自分の庭のようにこのあたりをよく歩きます。
滝の白糸像や鏡花記念館も近くにあります。


浅野川大橋   渡って右側に東茶屋街           
]


滝の白糸像   


泉鏡花記念館               
    

一条さんはよく金沢を語られているのです。
こうなると、本の文字の多さは全然気になりません。
どんどん読み進みました。



31信の一条さんの写真 ドバイ・夕日の砂漠で 素敵でしたね。


41信(鎌田東二)は仲代達矢さん
興味を持って読めました。
実家のすぐ近くにある「能登演劇堂」は、
仲代達矢さんが主宰する無名塾が1985年から毎年石川県中島町(現:七尾市)で合宿していたことが縁で、1995年に開館しました。
舞台設計を仲代さんが監修、舞台後壁が日本唯一の開閉式になっていて、
野外と一体となるのが有名ですね。
戦闘シーンでは、本物の馬が森の中から登場したり、迫力満点なのです。
第4回能登演劇堂ロングラン公演 無名塾「マクベス」は、
2009年9月〜11月に行われ、公演後NHK芸術劇場で全編放送されました。
演劇の町、中島町のみなさんにとって、
仲代達矢さん、「無名塾」の方たちは“町民”であり、家族、親友です!


第55信(鎌田東二)は五木寛之さん
・・・・・
「うつのちから」を説く五木さんによれば、「鬱」の本来の語義は、
「草木が生い茂るさま」で、「うつ」とは、その力、エネルギー、生命力
を意味するとのことでした。
「鬱の力」という、五木さんらしい逆転の発想は、
この末法のような時代に必要な知恵だと思いました。
・・・・・

金沢での五木寛之さんの連続講座でもよくこのお話しをされていて、
私もその時はとても共感しました。


また、鎌田東二さんは五木さんの小説について、
・・・・・
第一『戒厳令の夜』、第二『風の王国』、そして今回の『親鸞』上下(講談社)と挙げられ、いや、前二著よりも深く透徹した本かもしれません。
とにかく、改めて、五木寛之さんという作家の力量に畏敬の念を抱きました。・・・・・と書かれています。


一昨年の新聞連載「親鸞」(五木寛之・作)は、越後への流刑までで前半が終わっていましたが、今年1月1日から、いよいよ「親鸞」後半の連載が再開されました。毎日わくわくしながら読んでいます。


泉鏡花文学賞の選考委員をされている五木寛之さんは、金沢が第二の故郷だとおっしゃっておられますが、
奥様の玲子さんの実家が私と同じ町内ということもあり、五木さんにはとても親しみを持っているのです。


戸隠神社神隠しのこと、古事記日本書紀と神々のこと・・・
摩訶不思議な世界はそのままに、一気に読めました。


ムーンサルトレター」のキーワードは“ハートフル”。
私の大好きな詩が載っていました。


17信では
 三五館の星山佳須也社長が大きな感銘を受け、
1995年6月に『あとに残された人へ 1000の風』として出版されたという訳詩がのっています。

  「1000の風」   (作者不明)(南風椎・訳)
  私の墓石の前に立って 涙を流さないでください。
  私はそこにはいません。
  眠ってなんかいません。
  私は1000の風になって 吹きぬけています。
  私はダイアモンドのように 雪の上で輝いています。
  私は陽の光になって 熟した穀物にふりそそいでいます。
  秋には やさしい雨になります。
  朝の静けさのなかで あなたが目ざめるとき
  私はすばやい流れとなって 駆けあがり
  鳥たちを 空でくるくる舞わせています。
  夜は星になり、
  私は、そっと光っています。
  どうか、その墓石の前で 泣かないでください。
  私はそこにはいません。
  私は死んでないのです。


同じ詩を、「本当のことだから」山元加津子著 三五館)で郁代が読んでいたことを、私は後で知りました。


第30信でも、
「本当に大切なものは目に見えない」というサン=テグジュぺリと同じメッセージを、次のような美しい詩で表現した日本人もいました。
  
「星とたんぽぽ」  金子みすず

    青いお空のそこふかく、
    海の小石のそのように、
    夜がくるまでしずんでる、
    昼のお星は目に見えぬ。
       見えぬけれどもあるんだよ、
       見えぬものでもあるんだよ。
    ちってすがれたたんぽぽの、
    かわらのすきに、だァまって、
    春のくるまでかくれてる、
    つよいその根はめにみえぬ。
       見えぬけれどもあるんだよ、
       見えぬものでもあるんだよ。



私のブログのカテゴリーにも「金子みすず」があり、この詩が載っているのでうれしくなりました。
だから、とっても楽しく読めました。


今回は「ムーンサルトレター」60信までですが、
今生のいのちあるかぎり、いや、来世までも続けられるとか。


新発見、それは・・・。
私が「ブログの達人」と勝手に名付けた一条さんが、
実はブログを始めたのが昨年の2月だったこと。
14日には、一周年記念のお祝いをしましょう。