この坂を上って


この場所を通ると、郁代の入院生活が思い出されます。
郁代が胃の手術をした大学病院は、
近道である右側、この坂を上がったところにありました。
「治る」といわれていたので、
娘に会いに行くことがうれしかったのです。
八年間もオーストラリアで過ごしていたので、
母子の会話をする機会もなかったのでした。


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「お母さん、病気になって良いこともあった。
弱い立場の人の気持ちがわかってよかったわ」


「オーストラリアで手術することも考えたけれど、
日本へ帰って手術してよかった。家族は無償の愛だからね」
「お母さんは、おじいちゃん、おばあちゃんの世話もしたんだね。
おじいちゃん、おばあちゃん、しあわせだった?」
「いくちゃんは、みんなにかわいがられたんだよ」
私と郁代がしみじみと家族の思い出話をするのは初めてのことだった。
二人の間にしあわせな時間が流れていた。


病院は自宅とは近かったので私は午前、午後と退院まで毎日通った。
このころ知ったのだが、朝と夕、郁代の携帯には決まってオーストラリアから電話があるようだった。
好きな人がいるらしいと、病院で仲良しになった方が私に教えてくれた。
郁代の電話が鳴ると、私は休憩室へ移動し本を読んでいた。
「電話、終わったよ」
郁代が呼びに来たので時計をみると、一時間近く経っていることもあった。
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あなたにあえてよかった」より