仏さまにすべてをお任せする
仏教ブログよりお借りしました。
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「歎異抄・第三章」
煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、
生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、
願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。
◆現代語訳・第三章
「努力して救われるくらいなら、努力をやめれば簡単に救われる」と、
親鸞聖人は仰いました。
世間では、努力は最も大切な徳目とされているのに、
どうして親鸞聖人は、
努力を否定するようなことを仰ったのでしょうか。
わたしが思うに、
努力して救われようと思うのは心に余裕があるからです。
本当に救われない自分だとわかれば、
自ずと、仏さまにすべてをお任せすることができるものです。
不可称、不可説、不可思議の仏さまのお心をわかって
信じるのではありません。
わからなくても信じる、その決断の一瞬に救われるのです。
〜全休版・歎異抄現代語訳 4〜
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勤勉、努力、念仏の人だった義父が90歳で亡くなる少し前、私を呼んで言いました。
「ありがたいことがわかったがや」
「自分がだちかん者(愚者?)やとわかった。そのことがありがたいがや」
5年前、がんのため亡くなった娘が最期の夜に言いました。
「おかあさん、これまで完璧やったわ。
いつも必要な時に、必要な物やことがすぐに用意されていたもの」
「あなたにあえてよかった」より
「自力無効」の尊い姿に、仏さまのお慈悲が満ちていたのでした。