呼びかけ、呼びかけられて



東日本大震災  「顔が水より冷たく…」  
 箱石佑太君の日記が紹介されていました。
胸がいっぱいになりました。
               


毎日新聞 4月25日(月)10時51分配信より
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 「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。
津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。
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巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、
子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。
岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太君(12)が,
毎日小学生新聞に寄せた体験日記には、
震災と向き合う姿が率直につづられていた。



 ◇3月11日
 卒業式の歌の練習をしていました。
とてもゆれの大きい地震が来ました。
最初は単なる地震だと思っていました。
大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。
来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。
全然違いました。
ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。
お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。
お父さんのことが不安でした。
車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。


 ◇3月18日
 津波から1週間。
お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。
じいやんは泣いて、
「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」
と言っていました。


 ◇3月23日
 卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、
お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」
と頭の中で言いました。
そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。
その夜、こんな夢を見ました。
お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。


 ◇3月25日
 親せきの人の携帯に電話がかかってきました。
内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。
急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。
ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、
弟は親せきの人にくっついていました。
顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。


 ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。
「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。
でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。
お父さんの身に付けていたチタン、
東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。
そして驚いたのが時計が動いていたことです。
お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。
お父さんの時計は今はぼくのものになっている。
ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。


 ◇3月26〜27日
 見つかった時のお父さんの顔。
まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。
でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。
お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。
やっぱり見つかってよかった。


 ◇3月28日
 きょうは火葬の日。
ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、
手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。
拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。
お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。
骨をうめてホッとしました。


 ◇4月7日 
 きょうは、ありがたいと心から言える日でした。
お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。
ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。
やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。

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箱石君は25日、155人の仲間と一緒に町立山田中学校に入学した。
日記は、大沢小の子供たちが復興に立ち向かう様子を紹介する「大沢からの報告」として毎日小学生新聞に11日に掲載。
「何回も読み、涙が止まりません。皆様が少しずつでも前に進める日がくることを願っております」(2人の子を持つ東京都北区の女性)
とのメールが届くなど大きな反響を呼んだ。






多くの人に愛された女優・田中好子さん。
遺されたメッセージで、フアンに呼びかけましたね。
震災で亡くなられた方を真っ先に悼んだメッセージ、
感動の輪が広がりました。
まだまだ生きたかったでしょう。
無念だったでしょう。



「あなたにあえて、私の人生しあわせだったよ」
病床で友人に会い、
お別れの時間を過ごしていた郁代のことが思い出されてなりませんでした。
あの頃、
好子さんも病気に向き合っていたのですね。
田中好子さん、謹んでお悔み申しあげます。


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こんにちは、田中好子です。
きょうは3月29日、東日本大震災から2週間経ちました。
被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、
破裂するように痛み、
ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。


メッセージ全文はこちらから。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/100/79919.html