往った人が導く


青木新門さんの“命の旅”を読んで、
「ありがたい」といった郁代が思い出されたのでした。


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あの辛さの中で、
郁代は「ありがたい」のメッセージを遺そうとしました。
「家族のやさしさに気づいたことが、
病気の辛さ以上に有り難いことやわ」
うれしそうに言った郁代を思い出した。
明るい顔だった。
あの辛さの中で、
「有り難い」と言えることが不思議だった。
私は、同じような言葉を、どこかで聞いたような気がした。
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いのちの旅  〜死者の分まで生きる〜
                      青木新門


先週、福島県浜通りの被災地へ出向いた。
浄土宗のボランテイア活動の一環としてのイベントに招かれ参加したのであった。


運転する地元消防団長の方が、
原発事故さえ無ければ・・・」
とため息のようにつぶやかれた。
これだけの大災害をもたらした津波に対して怨む言葉でなく
原発事故さえ無ければ・・・〉の一言は、
残された人たちにとって原発事故がいかに深刻かを物語っていた。


翌日寺の会場には二百人ほどの人がやって来られた。
被災者の前で何を話そうかと迷っていたが、現地へ来てその惨状を見聞きしているうちに死の実相のことを話そうと思った。
私は東北の詩人宮沢賢治を取り上げて話した。


賢治の詩に『目にて云う』という不思議な詩がある。
その最終行にこんな詩句がある。


あなたの方から見たら
ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
わたしから見えるのは
やっぱりきれいな青空と
すきとおった風ばかりです


私はこの詩から、
生き残った人は死者は苦しんで死んだと思いがちだが、
惨憺たる瓦礫の風景を見ているのは生き残った人たちで、
死者は瓦礫など見ることなく、
三陸のきれいな海やすきとおった空を見ていたはずである。
そして生き残った人に命を託して
「ありがとう」と笑顔で往かれたのですよ、と言った。


賢治の童話に登場する動物たち、
たとえばよたかも狐も熊もみんな
「にっこり微笑んで死んでいました」
と描かれている。
またアンデルセンの『マッチ売りの少女』も
「翌朝少女は家と家の間で、
ほっぺを真っ赤にしてにっこり笑って死んでいました。
でも、女の子が、どんなにすばらしい、どんなに美しいものを見たか、
知っている人はいませんでした」
とある。


敬虔な仏教者であった賢治も熱心なクリスチャンであったアンデルセンも、
生と死が交差する瞬間の不思議な現象を知っていたといえる。
生死の実相を知るということは宗教を正しく理解することでもある。


  往った人が導く
私は最後に道綽禅師の『安楽集』にある、
「前(さき)に生まれんものは後を導き
後に生まれん人は前を訪(とぶら)へ」
という聖句で締めくくった。
先にすきとおった世界(浄土)へ往った人が残った人たちを導くのだと仏教は説く。


講演を終えたとき、一人の婦人が近づいてきて
「泣くことも笑うこともできなかった。
だが今、吹っ切れました。
死者の分まで生きようと思いました」
と涙ながらに手を出された。
私はその手を握って、来てよかったと思うのだった。

                    (北国新聞 6月14日より抜粋)