ある ある ある

   
全休さんのブログ『般若心経』に、
   

   救われた。救われた。
   完全に救われた。
   みんな完全に救われた。
   ここが浄土だった。


とあり、中村久子さんの  ある ある ある
が聴こえたのでした。


逆境をあるがままに生きるー中村久子と歎異抄ーより    

 
     ある ある ある

 
     さわやかな
     秋の朝
     「タオル 取ってちょうだい」
     「おーい」と答える
     良人(おっと)がある

 
     「ハーイ」という
     娘がおる

 
     歯をみがく
     義歯(いれば)の取り外し
     かおを洗う


     短いけれど
     指のない     
     まるい
     つよい手が
     何でもしてくれる
 
     
     断端(だんたん)に骨のない
     やわらかい腕もある
     何でもしてくれる
     短い手もある
 
     
     ある ある ある
 
     
     みんなある
     さわやかな
     秋の朝
 

久子の晩年の心境が語られた詩です。
歎異抄』に出会う前の心にあった坩堝のような苦しみから解放され、
秋の空の高見へと突き抜けていくような澄み切った輝きに満ちています。
      (平成9年6月29日、NHK教育テレビ「こころの時代」)

 

親鸞聖人750回御遠忌法要記念として、
東本願寺では現在「中村久子展」が行なわれています。


展示会概要 
3歳にして両手両足を失った中村久子さんの生涯は、
言語を絶する感動の人間ドラマです。
その生涯は、
NHK「こころの時代」や民放テレビ番組でも広く紹介されました。 
三重苦を乗り越えた「奇跡の人」ヘレン・ケラー女史から
「私より不幸な、そして私より偉大な人」
との言葉を贈られた彼女の存在は、
「日本のヘレン・ケラー」とも称賛されています。

 幼少時に「特発性脱疽(とくはつせいだっそ)」になり、両手両足を切断した彼女は、苦難と悲痛に満ちた人生を歩み始めます。
しかし、彼女を支えた人々や『歎異抄』との出あいをとおして、
苦難の境遇と障がいの身の事実を真正面から引き受けて、
力強く人生を生き抜かれました。


・・・・・

郁代の最期の言葉、
「これまで、お母さん、完璧やったわ。
必要なもの、必要なことが、いつも直ぐに用意されていたもの…」
              (「あなたにあえてよかった」より)   は、



「ある ある ある」


「ここが浄土だった」


だったのかなあと思えるのです。