すべてが完璧

木には蝉 葉にはぬけがら


書家、武田双雲さんのブログによると、
最近原因不明の痛みに襲われ、薬も効かず七転八倒
鍼灸が効いてようやくお元気になられたようなのです。


8月5日   世界中の痛み
 

連日痛みで苦しんでいます。

世界中には僕と同じかそれ以上の痛みを受けている人がたくさんいると思うと涙が止まりません。

世界中の痛みが消えますように


8月9日   スピリチュアルな体験

僕は昨日、
すごく素敵な
スピリチュアルな体験をした


ソファに横たわりながら
側で遊ぶ子供たちをボーっと眺めていたら


ふと


「すべてが完璧」


という超感覚を覚えた


言葉にするのは難しいが


セミの鳴き声も
散らかってる部屋も
壁の汚れも
床の素材も
空気中を漂っているゴミも


ぜーんぶ含めて


過去も未来も
ぜーんぶ
ぜーんぶ
ひっくるめて



完璧



という感覚。



んー伝わらないだろうなぁ

満たされるともちょっと違う


この宇宙が完璧だと知る


とか


宇宙の完璧さを感じた


と言う方が近いかな





双雲さんの言葉は、郁代からのメッセージに聞こえました。
郁代とかっこちゃん(山元加津子)と双雲さんが、
つながっているように思えました。


郁代が亡くなる前の晩、私に言ったのです。


「おかあさん、これまで完璧やったわ。
いつも必要な時に、必要な人や物やことがすぐに用意されていたもの」
            「あなたにあえてよかった」より
 

郁代が亡くなった時、
「本当のことだから」山元加津子著・三五館)が部屋に遺されていた時はとてもびっくりしました。
病気になってから発売されたもので、私はまだ知らなかった本でした。



「本当のことだから」
第一章  大きな力って何だろう
     必要だから“そこにある”  (P16) 
には、こんなことが書かれていました。


・・・・・
ある日のこと、お寺で講演する機会がありました。
主催者の方が
「有名なえらいお坊さんが今日は山元さんの話を聞きに来て、
二時間ほど山元さんとふたりで過ごすことになります。
せっかくの機会だから、どんなことでもおたずねなさい」
と言うのです。


私との会話の中で、そのお坊さんは
親鸞さんがさとられた」
と言いました。
「さとるってどういうことでしょうか?」
「『なむあみだぶつ』ってどういう意味でしょうか?」
とたずねました。


「どういうことを“さとられた”のかというと、
どんなことも、なるようになっているということです。
偶然というものはなく、いつも起こるべくして起き、
出会うべくして出会うということです」
と言いました。


それから、
「“なむあみだぶつ”とは、人がむなしく生きなくてすむように
“もの”も“こと”も“ひと”も与えられるようにまわりにあらわれて、
出会うことができるということです。
まわりにある“もの”も“こと”も“ひと”も、
みんなその人に必要だからそこにあるということです」


「じゃあ、よくお年寄りが“おかげさまで”っておっしゃるのは、
そういうことなのですか?」


「そうです。つらくて、悲しいと思うことすら、そうです」


私、そのお話を聞きながら、すごく不思議な感じがしました。
お坊さんが言っていることは、
いつも大ちゃんや、学校の子供たちが教えてくれていることと同じだと思ったからです。
そして、さとりとか南無阿弥陀仏って、
もっともっとむずかしいことなのかなという気がしていたからです。


ところで、えらいお坊さんの言ったことと、仏様の教えというものと、
大ちゃんや子供たちが言うことが同じなのはどうしてでしょう。


お坊さんに、
「昔の人は、どうしてそんな大切なことに気がつけたのですか?」
とたずねたら、お坊さんはまた優しくほほえんで
「それは、本当のことだからです」
と言いました。


本当のことだから、
昔の人は知っていて、親鸞さんも知っていて、
大ちゃんや子供たちも知っている・・・・・。


本当のことだから・・・・・。


頭の中で「本当のことだから」という言葉がぐるぐる渦をまいて、
しばらく離れませんでした。
・・・・・