大好きないくちゃんへ

郁代の七回忌法要でした。
生前、二年生のSちゃんと五歳のAちゃんは、よく可愛がって貰ったね。
今中学二年生、小学六年生になった二人からのメッセージを、
いくちゃんに贈ります。


「いくちゃんの笑顔は、みんなを笑顔にしてくれたし、
まるでひまわりの花みたいだったよ。
そして、いくちゃんの花は、
いまでも私達の心の中でキレーイに咲いているよ。
きっと優しい香りがしているんだろうな―。
いくちゃん、本当にありがとう。
大好き    」


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「本当に厳粛な人生の事実に眼を覚まして、
人間であるところに限りない喜びをもつことである」


今日の全休さんのブログ『曽我量深先生の言葉』は、
郁代からの手紙と受け取りました。
有難うございました。


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現生不退

              
現生不退ということは人間完成であると私は了解している。
人間として完成した。何時でも仏になれる。
若不生者不取正覚という約束の下に、人間として完成し、人間として心から満足し朗らかである。
我々はどこまでも人間として満足しているということが大切である。
人間の分を忘れて仏にでも成ったような気持ちでいると、夢を見ていることになる。
本当に厳粛な人生の事実に眼を覚まして、人間であるところに限りない喜びをもつことである。
我々は生きておる限り仏には絶対成れないものだし、また仏に成る必要がない。
仏に成れないのは、成る必要がないからである。

 (津曲淳三編『曽我量深先生の言葉』168ページ)


  量深師の著書は何度読んでも飽きるということがなく、読むたびに新
  鮮なヒントがいただけます。
  現生不退を
  「人間として完成した。何時でも仏になれる」
  と表現できる人がいるでしょうか。
  仏さまのお心に摂取されて、不満もなく、仏さまの国に帰っていく日を待っています。
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