自力無効


chamy-bonnyさん からのコメント、こちらにも載せさせて下さいね。


『いつも感動させていただいています。
郁代さんや、ご家族の方々のような心を、
地球上のすべての人が持つようになれたら、
その時が本当の世界平和の時なのでしょう。
されど、人間の本能と欲望は果てしなく自己中心的。
郁代さんのような気持ちになるには、おそらく幾多の輪廻を
繰り替えされ、多くの苦痛や悲しみを乗り越えられたからこそではないかと
勝手に想像いたします。
このような慎み深く、愛情にあふれたブログに出会えたこと、
大変、嬉しく思っております。
私のブログは品の無い部分も多々ありますが、
もしお許しいただければ、mikutyanさんのブログを
当方のブログで紹介させていただいてもよろしいでしょうか?
ひとりでも多くの人々に郁代さんのことを知っていただきたいと思うのです。』


chamy-bonnyさん
コメント、とてもうれしく有り難く思いました。
ここへ来て下さった方は皆さん、郁代が出会いたくて選んだ方なのですね。
おっしゃるとおり、
郁代はたくさんの苦痛や悲しみと向き合ったにちがいありません。
「ほかの誰かではなく、なぜわたしが?」と・・・。
青春、幸せの絶頂にいたときの人生最大の挫折、
その苦悩は計り知れないものだったでしょう。
私だったら誰もかれもを恨み、自暴自棄になったでしょうね。

苦悩が深いからこそ『自力無効』との佛の光が届き、
これまで縁あって出会って下さった人たちへの
感謝の念に満たされていったのではないでしょうか。


郁代が亡くなる前夜の言葉です。
その日、もう家には帰れないとわかっていてホスピスに入院しました。


「会いたい人、みんなに会えてよかった。
あしたから、わたしだけの時間にして、静かに過ごすわ…。
これまで、お母さん、完璧やったわ。
必要なもの、必要なことが、いつも直ぐに用意されていたもの…」
力になれなかった…、助けてやれなかった…。
悔いる母を、郁代は「許す」といってくれていた。              
                   (「あなたにあえてよかった」より)


私自身の事でしたら、
『人間の本能と欲望は果てしなく自己中心的』
そのままですので、
暗闇の中で光に出会った郁代が毎日全休さんからの手紙を届けてくれるのです。

・・・・・
「苦悩は求める心、我執に原因がありますから、
求める心を棄てれば苦悩がなくなります。
求める心は、自分の存在が価値あるものだと証明するための努力ですから、
自分などという存在に価値などないのだと知られれば、心は軽く明るくなります。

 しかし、自分という存在に価値がないと知ることは、
自分という人間における<人格の死>を意味します。
だから仏教は、<身の死>の前になんとか<心の死>を体験させたいのです。<心の死>を体験することを<自力無効>といいます。悟りです」


「無明の闇は深く、我執の綱は固く手強く、
なかなかそう簡単に切れるものではありません」
・・・・・


chamy-bonnyさんのブログで「mikutyanの日記」を紹介していただけたら、
“郁代から届く手紙”や、“かっこちゃん”にも出会っていただけるので有り難いなあと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。



亡くなった時郁代の部屋には、
新刊「本当のことだから」山元加津子著・三五館)が遺されていました。
かっこちゃんのHP「たんぽぽの仲間たち」の世界が、郁代は大好きでした。


かっこちゃんのメルマガ「宮ぷー心の架橋プロジェクト」にも
人と人が繋がった温かい世界が広がっています。