「それもわたしのせいじゃない」


昨日の天地いっぱいの追伸を全休さんが
コメントで書いてくださいました。
有難うございました。
とても心に沁みましたので、続けて紹介させていただきます。


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全休です
内山老師は「仏の御いのち」と表現されましたが、
すべては法爾自然、あるべくして、すべてはあるのであり、
よくよく考えてみたいが、
「わたしがした」というものがなにかあるでしょうか。
努力して境遇を変え、環境を自分の都合のよいように変えて、
創造的に人生を切り開いているかのようにわたしたちは思っていますが、
そもそも、わたしが創造したものなど、一体、この世にあるのでしょうか。


考えてもみてください、この身にして、すでに、わたしの創造物ではない。
年頃にでもなれば、教えられたわけでもないのに、男は女を、女は男が好きになる。
望んでいなくても子ができることがあるし、
望んでも子ができないこともある。
命を生み育てるのも命なら、生み育てた命を死なせるのも同じ命です。
命を守る命(人)もあれば、人という命を殺す命(人)もあります。
すべては法爾自然、起こることが起きているのであり、そこに起こす人はいない。
起こす人がいないのですから、誰にも責任がない。
責任がないといってしまえば世の中が成り立たないから、仮に責任(人)を立てている。
この世で起きていることに、一体、誰が責任を取れるというのでしょう。
zenkyu
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全休さんの 天地いっぱいを読まれたあと、畑のかえるさんが
「はすとにわとり」にこんなコメントをくださいました。
有難うございます。


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畑のかえる
今日、全休さんの「天地いっぱい」から来させてもらってます。
「それもわたしのせいじゃない」、がいいですね。
この詩を読ませてもらえるのも、
mikuちゃんのところに来させてもらえるのも、
「それもわたしのせいじゃない」なのかな。
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はすとにわとり
            金子みすゞ


どろのなかから    
はすがさく。


それをするのは
はすじゃない。


たまごのなかから    
とりが出る。


それをするのは  
とりじゃない。


それにわたしは     
気がついた。


それもわたしの  
せいじゃない。


     郁ちゃんのお陰で、
     いろんな方が素敵なメッセージをくださるんだよ。
     ありがたいねえ。