「やっぱり、おかあさんが一番やわ」




悲しみの極みの中で 、母と子の至福の時間が流れていました。


・・・・・
八月十二日
「お母さん、心配かけてごめんね」
「小さい頃のいくちゃん、本当にかわいかったんだよ。
みんなから可愛がられたんだよ。
いくちゃんはおかあさんに、いっぱいしあわせをくれたよ」
「お母さんは、おじいちゃん、おばあちゃんも介抱したんだね」
「おじいちゃんも、おばあちゃんもしあわせだったよ」
とぎれとぎれに繰り返される郁代との会話だった。


「やっぱり、おかあさんが一番やわ」


「Aさん(恋人)の励ましみたいなこと、お母さんにはできなかったよ。
いくちゃんにとって、Aさんは特別な人だね」


オーストラリア在住のAさん(7月20に会ったのが最後)は、
郁代から電話で「もう会えない」といわれていたようだった。
Aさんには、元気な頃の自分を覚えていてほしいと願ってのこと。


二月にオーストラリアを訪れた時、郁代は親しい友人にこんな胸のうちも語っていた。
「Aさんも辛いと思う。誰か相談相手がいればいいんだけど…」
ずっと後になってから、私が郁代の友人から聞いた話である。


「〝お母さんが疲れて倒れないか心配〟と、郁ちゃんが言っていました」
この日の午後、お見舞いに訪れていた友人が、帰り際私に言った。
連日暑さは厳しく、郁代は昼も夜もクーラーの温度を二十六度に保っていた。
身体が冷えるのを心配し、私がそっと温度を上げても、
「暑いからもとにもどして」といった。
薄手のガーゼケットも暑いといって嫌がった。
そのころ、私は夜郁代の部屋で休んでいた。
夜中、小さな錠剤がのどに詰まり苦しがった。
・・・・・

                「あなたにあえてよかった」より




郁ちゃん  元気なころは、お母さんがうるさかったよね。
今もだけど、お母さんはめちゃくちゃ欠点の多い人だもん。
あんなに辛い身体の状態で、
「やっぱり、おかあさんが一番やわ」
って、どうして言えたんだろうね。


仏様のお仕事の中にいたんだねえ。
有難いことでした。