「ほんとうのさいわい」をさがして 

以前、「満月交感ムーンサルトレター」 という記事を書いたことがあります。

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最近、不思議なご縁を頂いた一条真也さんの新刊
「満月交感ムーンサルトレター」(水曜社)を読みました。
出版社の紹介では、
「満月の夜、宗教哲学者 “鎌田東二” とハートフル作家 “一条真也” が交わす神話・儀礼・宗教・芸術・哲学・民俗・社会の話……。
ドラッカーから村上春樹まで縦横無尽!一刀両断!」
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この本は「シンとトニ−のムーンサルトレター」をまとめたものですが、
一条真也さんの65信では、なんと私までが登場するのです。
同じ65信で鎌田東二さんが、
最近私がご縁を頂いた“町田宗鳳さん”のことを書いていらっしゃるので不思議な気がしました。


トニーこと鎌田東二さんが今回の講師なので、
親しみを感じて西田幾多郎記念哲学館へ出かけました。
2012特別企画  【幸福について考える】
11月4日(日) 14:00〜16:00
講演会1   「ほんとうのさいわい」をさがして 
宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』を中心に―
鎌田東二京都大学こころの未来研究センター教授)


気持のよい秋晴れです。


丘の上に哲学館が見えてきました。


鎌田東二さんの講演は、法螺貝の音が大きく鳴り響いた後、西田幾多郎の言葉にひどく感動した・・・
というところから始まりました。


「私の生涯は極めて簡単なものであった。
その前半は黒板を前にして坐した、
その後半は黒板を後にして立った。
黒板に向かって一回転をなしたと云へば、
それで私の伝記は尽きるのである」


以下は講演資料よりの抜粋です。
ほんとうのさいわひを探して〜宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』           ★ 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
                             宮沢賢治
序論
……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
…………

農民芸術概論綱要(1926年)宮沢賢治
★ 『注文の多い料理店』序  宮沢賢治
 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、
あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。
            大正十二年十二月二十日   宮沢賢治


哲学館から見下ろすと


難解でよくわからなかった宮沢賢治の世界・・・
いつも「宮沢賢治が大好き」と言っているかっこちゃんが日頃語っていることと、
今日のお話しは同じなんじゃないかなあと思ったのでした。
トニーさんこと、鎌田東二さんの熱いお話にひき込まれ、
あっという間の二時間でした。
どうもありがとうございました。


西田幾多郎と鈴木大拙について書かれている文章に出会いました。
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西田幾多郎鈴木大拙は日本を代表する世界的な哲学者と宗教家である。
その偉大な二人が同じ年(1870年:明治3年)に同じ石川県で生まれ(西田:石川県河北郡宇ノ気村、鈴木:金沢市本多町)、
同じ学校(第四高等中学校予科)の同級生(第一級)として学んでいる。
これは歴史上奇跡のような偶然だが、そこには必然性も秘められている。
加賀は歴史的に宗教性の高い精神風土である。
鈴木大拙は次のように記している。


「加賀の者とか北陸の者は昔から宗教心が強いとよくいうが、
一向宗なんというような浄土真宗の盛んな本場でもあるし、
また禅宗の方では曹洞宗能登総持寺があるし、越前永平寺があって、禅も盛んなところである。
加賀の殿様も代々曹洞宗であったのだから、金沢に曹洞宗の大きな寺がある。
大乗寺にしても天徳院にしても立派な大きな寺である。」


このような精神風土の中で西田も鈴木も若い頃から、自然によく参禅した。そして明治初期、第四高等中学ができたばかりである。
そこに若き西田と鈴木が編入学し机を並べて切磋琢磨する。
いやが上でも学問への情熱は高まったと思われる。
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