努力が尽きたところに

郁ちゃん
Aちゃんは中学一年生に、
小学二年生だったSちゃんが、もう中学三年生になりました。
寝たきりになった時、あなたは言いました。
「もうSちゃんやAちゃんに会えない。
“元気だった頃のいくちゃん”を覚えていてほしいから・・・」
本当は可愛い姪に、毎日会いたかったのに・・・。


「宿題の書初め、家ではミクちゃんが走り回って書けないから、
おばあちゃんちで書くわ」とSちゃん。
根気よく書いていましたよ。
郁ちゃん、見てやってね。
          

        




『人としての努力が尽きたところに智慧が生じます。
煩悩が見えるという智慧です』


全休さんの
自然法爾章 3から、引用させていただきました。

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人としての努力が尽きたところに智慧が生じます。
煩悩が見えるという智慧です。
やがて、智慧は煩悩心の中で働きを現し、
心を柔らかく明るくして、
仏のみ教えに心が通じるようにしてくださいます。


 そのようなことすべてが智慧の働き、
すなわち、如来のお誓いのお徳ですから、
人としての努力、はからいはまったく必要がないと知られてくるのです。


 信心をいただき、智慧のお育てにあえば、
仏となるに人としての努力はまったく無効であることがわかるでしょう。
迷うのはわたし、
救うのは仏さまの仕事と決まっているのです。南無阿弥陀仏
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有難うございます。