絶対平等の身

きのう、命日に咲いた玄関の白萩 郁ちゃんのようです。



小川一乗師の妹さんで、西念寺坊守だった鈴木章子さんの詩を読ませていただきました。


         仲間

     死という
     絶対平等の身にたてば
     誰でも
     許せるような気がします
     いとおしく
     行き交う人にも
     何か温かいおもいが
     あふれでます


         
        おもい

     あ〜あ
     思いどおりにならなくて
     ほんとうに よかった
     こんな汚い根性で
     思いどおりになっていたら
     何人 人を殺したやら……
     何人 敵をつくったやら……
     今 太陽の下で
     おしゃべりに夢中になれるのも
     思いどおりにならなかったおかげ……

     あ〜あ
     思いどおりにならなくて
     本当に
     よかったなあ……

     癌だって
     思いどおりにならない人生だもの
     あたりまえ……
     思いどおりにならぬ恩恵
     良かったなあ…



          大きな御手

      私がする……
     私がしなければ……
     私がしてあげる……
     と思って生きてきたのが
     してもらうことが多くなったら
     主人も子ども達も
     それぞれが
     生かされていたのが見えてきた

     私がいなくなったら……と
     胸がはりさけそうだったのに
     残される主人も子ども達も
     大きな御手の中……

     一番大きな心残りが
     魔法のように
     とけてゆきます


鈴木章子 『癌告知のあとで』 探求社
〈カスタマーレビュー〉より
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今現在説法
肺がんになって
ここ あそこから
如来様の説法が
少しずつ
きこえてきます
今現在説法
真只中でございます

 筆者は北海道斜里町西念寺真宗大谷派)の坊守だった方。
昭和62年、乳ガンの肺への転移を告げられ、手術を受ける。
そんなある日、筆者は尊敬する教育者で浄土真宗の僧としても知られる東井義雄に  「乳ガンの手術に続いて肺ガンの手術を受けたが、お念仏にであえたしあわせにひたっている」
という手紙を出す。

 東井は
如来さまは、今も現に在して不断にご説法なさっているのですが、私たち、元気なときには、こちらの受信機の方に雑音が激しすぎて、ご説法を聞き逃しがちです。

 病気の時にこそ、何をさておいても、如来さまの今現在説法に耳を傾けさせていただきましょう。(中略)
私どもの心をゆさぶってくださる如来さまのご説法は、どうか心してそれをメモして下さい。
それは、おそらく短詩の形になると思いますが、それをメモすることによって、ご説法がはっきりと私のものになってくださる」
と返事を書いた。

 それに触発されて書かれた詩集が本書である。
死の床にありながら、深い内省と、周囲への感謝にあふれた透明なことばである。

 改めて、真宗はすごいと思った。
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