ナムアミダ仏

みくちゃんは、スイカ割り(たたき?)が大好きです。
   



EPOMさん コメント有難うございます。
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告解ってキリスト教ではあるのだけれど
仏教でもあるのでしょうか。
私は小さい時小さいアリをつかまえて蟻地獄に落としては
見ていました 数え切れないほどのアリを・・・
言えないことをもっとしました。
どうしてかっていうと私より大きい人が私を虐げていたから
これは大きくなってからの言いわけ
だから小さい時の仕業をどこに謝っていいのか解らないのです。
大きい人が死んじゃえばいいと何度夢見たことか
それは出来なかったから 今ここに私が居て
mikuちゃんのページを読んで白状している。
ごめんなさい ごめんなさいって。
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「言えないことをもっとしました」に対しては、
「私は、言えないことをもっと、もっと、もっとしました」
と、思いました。


全休さんの仏教ブログ、「何のかのと理屈をいう」を読ませていただきました。

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我われは、後生となったら嬰児(あかご)じゃ、
その嬰児が今でかけるとなると・・・という心配はないはず、
ナムアミダ仏・・・
東京へ今出掛けるという人は、切符も買い、汽車にも乗り、どこで乗り換えて、
どこで降りて・・・と何もかも出来る人が、出掛けるというもの・・・
ナムアミダ仏、
そんなら嬰児は東京へ行けんか・・・といえば行けんことはない。
母親の懐に抱かれていればチャンと東京へ行けますのじゃ・・・ナムアミダ仏。
嬰児はお念仏の乳房にさえ取りついていれば親がよいように・・・
その嬰児が、何のかのと理屈をいうわけはない・・・ナム

  (高下恵編「村田静照言行録」百華苑 148ページ)


 われわれの生と死も境遇も、今起きていることすべてが仏の御はからいであり、
仏の御いのちの只中であり、すべてが仏のお慈悲です。
にもかかわらず、わたしたちは、自らの境遇や今起きていることの一つ一つに不満をいい、文句をつけては、仏(親)を悲しませるようなことをしています。

 そのことを歎異抄の著者・唯円
「まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、
よしあしということをのみもうしあえり」(歎異抄・後序)
と歎いていますが、命も境遇も与えられてくるものだが、
わたしたちは自分の力で環境や境遇を変えられると信じている。
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ナムアミダ仏・・・あなたに会えました。