「また明日会えるといいね」

鈴木章子(あやこ)さんが、お亡くなりになる二ヶ月ほど前、
自宅で静養されている時のことでした。

旦那様が、
「夜、知らないでいるうちにお前が息をひきとったら困るから、
同じ部屋で寝る」
という言葉に対し、章子さんは、
「あなたが同じ部屋で寝てくださっても、いざというとき一緒に死んでいただくこともできないし、代わって死んでいただくこともできません。
一人でいても二人でいても同じこと。
それよりお父さん、子ども達のためにも、体を休めてほしいから、
二階と一階で別れて寝ましょう」
とおっしゃったそうです。
その時に鈴木章子さんが詠まれたのが「おやすみなさい」という詩です。

『おやすみなさい』

「お父さんありがとう。また明日会えるといいね」
と手を振る。
テレビを観ている顔をこちらに向けて
「おかあさんありがとう。また明日会えるといいね」
と手を振ってくれる。
今日一日の充分が胸いっぱいにあふれてくる。

この詩の「お父さんありがとう」の一言の中には二十年余りの夫婦として共に歩むことが出来たことへの感謝の想いがあるのでしょう。
しかし、「また明日会えるといいね」と、切なる思いで願ってみても、
間違いなく明日を迎えることが出来るという生命の保証が無いのです。

今夜お迎えが来るのかも知れないという中で、永遠の別れの思いをこめて、
「おやすみなさい」
と言葉を交わして、二階と一階に別れて眠りにつくのです。
幸い朝が迎えることが出来た時には、
「お父さん、会えてよかったね」
「お母さん、会えてよかったね」
と心おどる思いで挨拶を交わされたそうです。

鈴木章子さんは、
「四十六年の人生で、こんな挨拶を一度だってしたことが無かった。
健康にまかせて、忙しい毎日の中で、うわの空の挨拶しかしてこなかった。
私は癌をいただいたお陰で、今は一度一度の挨拶も、恋人のように胸おどらせて挨拶ができるようになった」
と喜びの中で語っておられます。

もう一つ、鈴木章子さんが、家族に残された詩をご紹介します。

死の別離の悲しみの向こうに
大いなるふる里の灯りが見える
慎介、啓介、大介、真弥、あなた 
この灯りをめざして歩んで欲しい
あなた・・・ 
私の還ったふる里 子供達に教えてあげて

どんなにすばらしい浄土に帰ることができたとしても、
人として別離の悲しみを消すことはできません。

しかし、その悲しみ中にありながらも、鈴木章子さんは、
「たとえ人間としての命を終えても、
今度は仏としての命に生まれていくのです。
命の帰るふるさとがあるのですよ。
そのことを忘れずに如来さまの光を目指して人生をあゆんでほしい」
とおっしゃっています。

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