還るべき故郷

そら豆


「お母さんは、おじいちゃんやおばあちゃんの世話をしたんだね。
おじいちゃんやおばあちゃん、しあわせだった?」
と郁代は聞くようになりました。

「いつでも還っておいで、待っているよ」
祖父母の声を聞き、
祖父母の待つ大いなる生命の故郷に郁代が還っていったと思うと、
温かい気持ちがわいてきます。


鈴木章子(あやこ)さん の『癌告知のあとで』より、
詩の紹介です。


   なんでもない

なんでもない
なんでもない
なんでもない

なんでもないことが
こんなにうれしい

 
   おもい

あ〜あ
思いどおりにならなくて
ほんとうに よかった
こんな汚い根性で
思いどおりになっていたら
何人 人を殺したやら……
何人 敵をつくったやら……
今 太陽の下で
おしゃべりに夢中になれるのも
思いどおりにならなかったおかげ……

あ〜あ
思いどおりにならなくて
本当に
よかったなあ……

癌だって
思いどおりにならない人生だもの
あたりまえ……
思いどおりにならぬ恩恵
良かったなあ……


   道を尋ねる

道に迷ったら
たちどまって
道を知っている人に
尋ねるのが一番
そのうちにと思っていると
日が暮れてしまう


玉ねぎ


   倶会一処(くえいっしょ)の浄土

また、身にあまる程のおかげさまに出あうことができ、
還るべき私の故郷も父母の死を通しまして、
はっきりと見えてきました。
(中略 そのあとすぐに父母があいついで往生) 
 

私がガンになり、父母が亡くなったということは、
世間からみれば、不幸つづきということで、
皆さんが気づかい慰めて下さるのですが、
私にとっては悲しさとは別の充足感がありました。

別離の悲しみは勿論ありましたが、
それに増して父母が還っていった大いなる生命の故郷に、
電気がポッとついた感じで
「いつでも還っておいで、待っているよ」
という声が聞こえて、
木をみても山をみても、雲をみてもその息がきこえるという、
不思議な世界に今います。

倶会一処(ともに一処に会うことができる)の世界を見せていただきました。
いろいろなものに護られているという充実感でいっぱいです。
いつかまた、父母と一緒になって大地の中を旅するのだ。      
父母が亡くなったという悲しみよりも、
私のために故郷に灯をつけに還ってくれたのだと思われて、
父母の死は感謝の死でした。


   絶対平等の身

死という
絶対平等の身にたてば
誰でも
許せるような気がします

比べることもなく
競うこともなく
「オイ ガンバッテルナア〜」と
素直に
肩が組めます
初めて
本当の仲間に
出会ったような気がします

地球全体
生きとし生きるもの
死の絶対というところで
懐かしく
温かく
だきあえる気がします


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