蝶が飛んでいる。葉っぱが飛んでいる。

アカンサス

「リーチ先生」を読んでいたら、
以前、河井寛次郎について書いたことがあったなあと、思い出されました。
『火の誓い』講談社文芸文庫)に、戦時中寛次郎が体験したことが次のように書いてあって、心に残っています。
この境地、私にはとても遠いものですが・・・。 

『この世このまま大調和』

 
私の住まっている京都も、何時どんなことになるか判らないようなさし迫った戦時中のある日のことでありました。
その頃私は毎日のように夕方になると何時焼けるかも知れないこの町に御別れしておこうと思って、
清水辺りから阿弥陀ケ峰にかけての東山の高みに上っていました。
その日もまた警報がひんぱんに鳴っていました。
私は新日吉神社の近くの木立の下のいつも腰掛ける切り株に腰掛けて、
暮れゆく町を見ていました。
明日は再び見る事の出来ないかも知れないこの町を、
言いようもないない気持ちで眺めていました。

 その時でありました。
私は突然一つの思いに打たれたのであります。
なあんだ、これでいいんだ。
焼かれようが殺されようが、それでいいのだ。
――それでそのまま調和なのだ。
そういう突拍子もない思いが湧き上って来たのであります。
そうです。
はっきりと調和という言葉を、私は聞いたのであります。  

 なんだ、なんだ。これで調和しているのだ。
そうなのだ。――と、そういう思いに打たれたのであります。
しかも私にはそれがどんな事なのかはっきり解りませんでした。
解りませんでしたがしかし、
何時この町や自分達がどんな事になるのか判らない不安の中に、
何か一抹の安らかな思いが湧き上って来たのであります。
私は不安のままで次第に愉しくならざるを得なかったのであります。
頭の上で蝉がじんじん鳴いているのです。
それも愉しく鳴いているのです。
左様なら、左様なら京都。

 それからは警報が鳴っても私は不安のままで安心――
というような状態で過ごす事が出来たのでありました。
しかし、何故殺す殺されるというような事がそのままでよいのだ。
こんな理不尽なことがどうしてこのままでよいのだ。――
にも拘わらず
「このままでよいのだ」というものが私の心を占めるのです。
この二つの相反するものの中に私はいながら、
この二つがなわれて縄になるように、
一本の縄になわれてゆく自分を見たのであります。                
     それから一週間ほどしたある日、寛次郎は、
     よく出かける山科へ行きました。
     ふと見ると、山桐の大木の大きな木の葉が悉く虫に食われて
     丸坊主になっているではありませんか。

 葉っぱは虫に食われ、虫は葉っぱを食う――
見るからにこれは痛ましいものそのものでありました。
それにしても、この日はどうした日だったのでありましょう。
私は見るなりに気付いた事でありましたが、
痛ましいというその思いの中に、
これまでかつて思ったこともない思いが頭をもたげたのでありました。

葉っぱが虫に食われ、虫が葉っぱを食う。
――これまではこうより他に見えなかったことが、
今日という今日はどういう日だったのでありましょう。

葉っぱが虫に食われ、虫が葉っぱを食っているにも拘わらず、
虫は葉っぱに養われ、葉っぱは虫を養っている――
そういう事をその時ははっきり見たのであります。
食う食われるというような痛ましい現象が、
その儘の姿で養い養われているという現象であるというのは、
抑々これは何とした事なのでありましょう。
 
 この間中からむらむらしていた事が、
これでよいのだ、
これで結構調和しているのだというような、
しかしつきつめると何故そうなのだか解らなかった事が、
ここではっきり正体を現わしたのであります。

不安のままで安心。
さてはそうなのか、そうだったのか。

米や魚がものを作ったり、
豚や牛が考えたり、書いたりしないと誰が言えるでしょう。   

蝶が飛んでいる。
葉っぱが飛んでいる。
暮れる迄山科の村々を私は歩き廻っていました。
                       (同書、242〜245頁)