許す心

きのう、近所に住む仲良しのMさんと話していたばかりです。
時として自分に敵意を抱く人がいたら・・・
本人が気づかないまま、周りの人を次々に傷つけているとしたら・・・。

Mさんは優しい方で、
「相手の敵意に支配されないようにしたい」
「許すことで、相手がゆとりをもってくれたら」
とおっしゃいました。

う〜ん タイムリーです!
けさの朝日新聞に『汝の敵を愛せるか』の見出しがあって、三人の方の意見が。
渡辺和子さんの「許す心のゆとりが大切」からの抜粋です。
          *渡辺和子さんはノートルダム清心学園理事長
            『置かれた場所で咲きなさい』の著者
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父は二・二六事件で陸軍部隊に自宅で襲われ、機関銃弾を浴び、
軍刀で切られ、命を奪われました。
その時九歳の私は、座卓の陰で一部始終を目撃しました。
しかし、彼らを「敵」と考えたことは、なぜかしらありませんでした。
彼らをそそのかした人々がいて、将兵は命令で動いただけだ、
と考えてきたからです。

事件から50年目の86年、青年将校の法要に請われて出席、
「自分たちが先に渡辺大将のお墓参りをするべきなのに、
被害者であるあなたの方がこられて」
と涙ながらに言われました。
父を殺した人を「敵」だと憎み続けていたら、
こうした出会いもなく、彼らの思いを理解することもなかったでしょう。

学校でも会社でも、ライバル、好敵手といった存在は必ずあります。
しかし、その人たちに憎しみや恨みを抱けば、自分の心の自由が失われます。
「敵」と同じレベルに成り下がるのではなく、相手を許すのです。

81年広島を訪れたヨハネ・パウロ二世も、
「許しなさい。許さないと、あなたはずっと相手の支配下にあります」
と述べました。
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あっ、郁代の声が聞こえてきました。

「許す前に、すでに私は許されていたのだ。
病気のおかげでそのことがわかり、うれしかったよ」