生死を生きる 2

青木新門さん「こころの時代」(2014年7月19日)より
生死を生きる 2

あらゆるものが差別なく輝いてみえる
〜癌で亡くなった医師の闘病日記〜             

叔父の葬式の2、3日後のことでした。
以前親しくしていた友人の住職から、
「ありがとう、みなさん」と題された本が送られてきました。
富山県砺波市の井村和清という32歳の若さで癌で死亡した医師の闘病日記が、
遺族らによって自費出版されたものでした。
この本は、その後「飛鳥へまだ見ぬ子へ」として出版されました。

(その中には、私が先日書いたばかりの「あたりまえ」という詩ものっています)

「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」

 なにげなく読み始めて、気がついたら正座して読んでいました。
読み進むうちに涙で読めなくなった箇所があります。

・・・・・
癌が肺への転移を知った時、覚悟はしていたものの、
私の背中は一瞬凍りつきました。
その転移巣はひとつやふたつではないのです。
レントゲン室を出る時、私は決心しました。
歩けるところまで歩いていこう。
その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、
私は不思議な光景を見ていました。

世の中がとても明るいのです。
スーパーへ来る買物客が輝いてみえる。
走りまわる子供たちが輝いてみえる。
犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が、
小石までもが輝いてみえるのです。
アパートへ戻ってみた妻もまた、手を合わせたいほど尊くみえました。
・・・・・ 

 この文章を読んでいるうちに、私は涙で読めなくなったのです。
そして私は叔父の顔を思い出していました。
あの叔父の安らかな清らかな顔の内面を、
この文章が表しているように思ったのです。

叔父はあの時、井村医師同様、私も叔母も看護師さんも病院の窓も花瓶も、
みんな輝いていたのではないだろうか。
だからあんなに輝いた柔和な顔をしていたのではないだろうかと思ったのでした。

 生と死が限りなく近づくか、生者が死を100パーセント受け入れたとき、
あらゆるものが差別なく輝いてみえる一瞬があるのではないだろうかと思うようになったのです。
お経に出てくる「光顔巍巍」(こうげんぎぎ)とはこのことではないかと。

以来私は、死者の顔ばかり気にするようになりました。
今まで毎日死者に接していながら、死者の顔を見ているようで見ていなかったような気がしました。
人は嫌いなもの嫌なものはなるべく見ないように過ごしているものです。
きっと私も本能的にそうした態度で死者に接していたようです。
 その後死者の顔を意識しながら、毎日死体に接しているうちに、
死者の顔のほとんどが安らかな顔をしていることに気づきました。
特に死んで間もなくのお顔は半眼で仏像とそっくりだと思いました。

生死を生きる 1