生死を生きる 3

青木新門さん「こころの時代」(2014年7月19日)より
生死を生きる 3

〜きれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです〜

葬式の現場・納棺の現場で死とは何かと考えるようになって、
死の実相を知った時点で仏教書を読み始めるようになりました。
私の住む富山県や北陸は浄土真宗がさかんで、
葬式の多くも南無阿弥陀仏で行われることが多いのです。

それで改めて、親鸞の主著「教行信証」を学ぶことにしました。

あらゆるものが差別なく輝いてみえる一瞬というのは、
如来からの働きかけである回向によって慙愧の回心がおきたのです。

仏仏想念の世界です。

太陽や電気の光には遮るものがありますが、
何物も妨げるものがない無碍光に照らされたのです。

光明

宮沢賢治「眼にて云ふ」という詩は、
病に倒れ、話すこともできない臨死体験のような状況を描いている。

「だめでせう  
とまりませんな  
がぶがぶ湧いているですからな  
ゆうべからねむらず血も出つづけているもんですから・・・」

という書き出しです。
ところが、その詩の最後はこうです。
  
「あなた方の方から見たらずいぶんさんたんたる景色でせうが
わたしが見えるのは  
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです」
これを読んで、腑に落ちた。

東日本大震災の後、宮城県の被災者の方々の前で、
お話する機会がありました。
その時、眼にて云ふ  を朗読したんです。
みなさん亡くなった人たちに、
『寒かっただろう』
『痛かっただろう』との思いが胸につかえておいでです。
こうお伝えしました。

「亡くなる時はきっと青空を見ておられたのですよ。
そして、『いままで、ありがとう』と言いながら逝かれた。
そう信じていますよ」

そしたら、一番前におられたおばあちゃんが、
「やっと、こころが救われました」
と、話しかけてこられた。うれしかったです。

人間の最高の幸せは お釈迦様がおっしゃったように
生・老・病・死 の全過程を安心して生きることだと思うんですよ。
釈迦はそのように導かれた。
今日の社会は生にのみ価値を置いて老病死を隠して生きている
そんな世界で生きている様な気がします。

    
 
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