もっと大きなものに愛されてここにいる
玄関のプランターから伸びてきた“こぼれ朝顔”
支柱が足りなくなったらこのように・・・
サッシの格子とガラスに隙間があったこと、知りませんでした。
「あなたにあえてよかった」を読まれた方から、以前お手紙を頂きました。
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ずっと家にひきこもっていましたが、
息子のお骨を抱いて冬でもお日様が近いところ・・・とよろけながら、
沖縄の離島、来間島(クリマじま)へいったのでした。
冬の来間島には人が誰もいなくて、
ただ美しい海と空、自由に舞うちょうちょうたち・・・
そして暖かな陽射しがありました。
息子が亡くなっても、太陽は変わらずに暖かく照らしてくれている。
そして砂浜の白い砂たちをよくみると、一粒一粒がさんごや貝のかけらで、
それは砂ではなくすべてが命でした。
固まっていた涙がたくさんあふれてきて、“死”も“生”も宇宙の点にすぎないのかもと、又自然たちから人はいつも愛されていたのだと気づきました。
例えば日の光りや優しい風、海、
いろんな変化も過ぎてゆくものと教えてくれる空の雲など…。
実は“その中にいつもいた”ということをその時感じ、涙がとまりませんでした。
これまで生きてきたことは、本当は奇跡のつながりで、ここにいる。
あたり前なことなど何もないのだなあと、
深い哀しみと同じくらい感謝があふれてきました。
すると、なぜかとてもおだやかな、暖かな、幸せな気持ちになりました。
どんな状況であろうとも、
人間はもっと大きなものに愛されてここにいると思えます。
悲しみは悲しみのままに、
瞬間瞬間を後悔のないように、
愛をこめて自分の命を生きていこうと思うのです。
(H.Hさん)
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途中から、手紙の声が郁代の声に重なって聞こえてきました。
「これまで生きてきたことは、本当は奇跡のつながりでここにいるのです」
「どんな状況であろうとも、
人間はもっと大きなものに愛されてここにいます」
「あたり前なことなどなにもないのだと、
深い哀しみと同じくらい感謝があふれてきました」
郁代もきっと同じような気持ちで、
自分が辛いのに、友人や家族を励ましていたのだと思えるのでした。