「40年以上前の恩師に出会えた」とのお便りが

水辺のハクセキレイが電線に 白と青のコントラストが美しい

ブログで懐かしい人に出会ったとお便りを頂いた・・・
まりんかさんに起こったことが、
時を同じくして私にもあって、とてもびっくりしました。

宇野正一先生の記事を読み、
教え子だったとおっしゃる“三太郎さん”がお便りをくださったのです。 

生徒に毎日、詩や作文の宿題を出されていたとも書かれていて、
年代はずっと後になるのですが、
私も小学校教員時代関わっていたことがあるので、とてもうれしくなりました。

「偶然の偶然に先生に会わせてくれたmikuさんに感謝します」と結ばれていました。
  
・・・・
はじめてお邪魔します。
私は皆さんのように仏教思想に親しんでいる人間ではありません。
ただ宇野先生の「仏がござる」を読んで、
40年以上前に宇野先生と過ごした時間が彩色をもって蘇りましたので、失礼かとは思いましたが投稿させていただきます。
私は先生の教え子です。

先生は小学校1・2年生を専門に受け持っておられまして、
尊敬される新見南吉に倣い、生徒に毎日、詩や作文の宿題を出されていましたね。
当時1学級に45人の児童がいたわけですが、そのすべてに目を通し、
文章から子供の心境変化を読み取りに家庭問題などに対応してくれましたね。

つまり私たちは、仏の慈悲のもとに育てられていたわけですが、
拙い教え子の自分としては「作文」が重荷以外の何物でもなかったですね。

或るとき、作文の題材に困って、
先生が体育の授業の時にかぶっている白い帽子のことを書きました。
白い帽子の隅に、宇野房雄と書いてあるので、
先生の名前は「房雄」なのか「正一」なのがどちらなの、
というような内容だったと思います。

その日の放課後、先生が私を呼び止め、
お前だけに先生の秘密を教えてやる、とおっしゃいました。

「正一というのはペンネームで、本当は房雄というのだよ。
尊敬する新見南吉の本名が渡辺正八なので、それを真似て正一にしたのだよ」と。

偶然の偶然に先生に会わせてくれたmikuさんに感謝します。
・・・・・

「仏がござる」とは、次のような内容でした。

昨日、米粒に「命」と書きましたら、

  食べものさまには 仏がござる
  おがんでたべなされ

宇野正一少年のお祖父さんの声が聞こえてきました。

宇野先生は長年小学校の先生をされ、
お辞めになった後は地元の短大の先生をされていました。
先生が四歳の時母は二十七歳で亡くなり、父の実家で祖父母によって育てられました。 
お祖父さんはとても念仏を喜ばれた方で、
「お母さんにあいたかったらお仏壇にお参りしなさい」、
何でもかんでも「仏がござる」でした。
そしてお米についても「仏さんがおられるのだから拝んで頂きなさい」と、
繰り返しお話しされました。

小学校五年生の時に理科の時間に顕微鏡で物を観る時間があり、
宇野少年は
「ああ、おじいちゃん、〝いつも食べ物様には仏がござる〟と言っておった。
ご飯の中に、顕微鏡で見たら仏があるだろうか」
と、弁当箱の一粒のご飯粒を取り出して顕微鏡で覗きました。

ところが仏さまは見えなかったので、先生に尋ねました。
「おじいちゃんは、〝食べ物様には仏がござる〟といつもいうんですけど、
先生、ご飯の中に仏が見えませんが、仏さまはいるでしょうか?」

学校の先生は
「そんな馬鹿な話があるか。お前のおじいさんは迷信だ。
ご飯の中には含水炭素とタンパク質と澱粉と水があるんだ。
仏なんかあるもんか」
とおっしゃったそうです。

宇野少年は家へ帰り、
「おじいちゃん、嘘ついた」
とおじいちゃんをなじったそうです。
おじいちゃんは、孫のいうことを黙って聞いておられて、
しばらくしてから仏さまの前に坐って、長い間涙を流して坐っておられたそうです。
その姿が宇野少年の心を貫いたのですね。

      たべものさま

   たべものさまに 仏がござる
   おがんでたべなされ
   大むぎめし しいなもち
   まずいまずいと もんくたらたら
   そのたびに しかられた
   帰命無量寿如来
   おじいさん いま頃やっと
   おがめました
   たべものさまには 仏さまがござりました
   おじいさん
                      (宇野正一

 仏さまとは私の命にはたらいていてくださる、目には見えない力です。
私の命を支えるために、
沢山の命がはたらき続けておられる世界があったことに気づいたのです。
これが仏さまでしたと。