兎毛羊毛のさきにいる ちりばかりもつくる罪の
日々、全休さんから仏の教えが届きます。
有難うございます。
宿業は本能なり 4 からです。
よきこころのおこるも、
宿善のもよおすゆえなり。
悪事のおもわせらるるも、
悪業のはからうゆえなり。
故聖人のおおせには、
兎毛羊毛のさきにいる
ちりばかりもつくるつみの、
宿業にあらずといふことなし
としるべしと、そうらいき。
(歎異抄)
宿業は本能なり 2 では、
6月19日付けのmikuちゃんの日記は「棟方志功の往相回向」と題して、
曽我量深師の言葉「宿業者是本能、即是感応道交」が紹介されています。
棟方志功の宗教体験の話も面白く、昨日は、量深師の『歎異抄聴記』から
「宿業は本能なり」を紹介させていただきました。
人間は、理知で宿業を知ろうとしても知られない。
人間ぜんたい、自己ぜんたいが宿業である。
宿業の主観である。
だからして宿業の中に自己がある。
それで人間は宿業を知らしてもらった時は、
すでに仏の本願中にある。
大慈悲心のうちにある。
(曽我量深)
郁ちゃん、
あなたの声となって聞こえてきます。