いのちのバトンタッチ 1

郁ちゃん
金丸先生からの年賀状に、
「あれから毎年大学一年生に“郁ちゃんの授業”を続けています」
と書かれていました。

木造校舎最後の一年生、
この時の担任が金丸先生でした。

写生会での校舎の絵 大好きなので何度も載せています。

人望の厚い先生は、小学校長を退職後、金沢の私立大学に招かれました。

「教育は人なり。
教育者を目指す人ほど、
学力・能力だけでなく豊かな人間性を兼ね備えた人になってほしい」

との信念を持って幼児児童教育学科の教授をされているのです。

「郁ちゃんの人生を教材として取り上げたいので、資料作りに協力してほしい」
と言われたのが四年前でした。 

「あなたにあえてよかった」や、  
24時間テレビ』で放送された、
郁代のお別れの旅1
郁代のお別れの旅2
も使われたのではないでしょうか。

その後、学生さんの授業の感想をたくさん送ってくださいました。
授業終了前10分間で書いたものだそうです。

Sさん
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私はこの話を今日聞いて、大浦さんのことを初めて知りました。
病院でがんで余命6か月と宣告された大浦さんは、初めはショックで受け入れることができなかったけど、
日本に帰り残りの人生を今まで出会った人に感謝の気持ちを伝えるため、
お別れの旅に行ったのがすごく印象に残りました。
自分ががんで辛い時なのに、最後まで自分のやりたいように人生をやりとげた大浦さんは、とても強い人だと思いました。

私は大浦さんに会ったこともないし、今日初めて話を聞いたけど、
聞いた話だけで大浦さんは、優しく、友達も多く、いろんな人から愛される人だということが分かりました。
この話を聞いて、私は今の生活があたりまえになっているし、
人に感謝することも少なくなっています。
しかし、今ある人生はあたりまえじゃなく、
感謝の気持ちを忘れずに毎日すごしたいです。
大浦さんの人柄はとてもすてきで尊敬しました。
私もこれからの人生、やりたいことをやり、悔いのない人生にしたいです。
今日この話を聞けて本当によかったです。
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Mさん
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私が余命6か月と宣告されたら、その6か月の過ごし方について考えると思う。
もちろん悲しいが、残された短い期間を少しでも無駄にはしたくない。
大浦さんの気丈さには驚いた。
大浦さんは自分の死が宣告された際にひどく悲しんだらしいが、
普通ならば少しでも長く生きていたいし、わざわざ辛い体で旅に出るなど考えないだろう。
悲しみにくれた後に自分のやりたいことをやり通す意思の強さは普通の人ならば持っていないのではないだろうか。
この意思の強さにはそれまで歩んできた人生が深く関わっているのではと私は考える。
惜しみない愛情を受け、自分の意思を尊重されている環境で育ったのならば、大浦さんの意思の強さに納得がいく。
めぐまれた環境の中、めぐまれた友人たちに囲まれて過ごした人生は、
短いながらも充実したものだったのではないだろうか。
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Hさん
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余命半年と宣告されても自分に今何が出来るのかを考え、
残りの人生を大変ながらもやり遂げたことはすごいなと思った。
人生をここまで一生懸命に生きて、
残された時間を輝いている人生にした人は本当に少ないと思うし感動した。
「また来るね」と最後の旅で出会った人達との別れ際に言った時、
彼女は「今」と姿は変わっているけれど、必ずまた会おうねと言っているように思えた。
余命半年と宣告されて大きなショックを受けたにもかかわらず、
その半年を良い思い出にした彼女には本当に感動させられた。
遺書の内容もご家族の方や、恋人、出会った人達への感謝の気持ちが痛いほどよく伝わってきた。
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学生の皆さん、
郁代へ温かい共感を寄せて下さって本当に有難うございました。
みなさんの真摯で、素直な感想を読ませていただき、
とてもうれしく思いました。

郁ちゃん
大好きだった金丸先生が多くの学生さんを前に、
郁ちゃんの人生を生かしてくださったんだよ。
有難いねえ〜。
母はとってもうれしくて、ちょっぴり悲しくて、
涙が流れました。