思い出の神戸

しあわせ運べるように



「亡くなった方々の分も、毎日を大切に生きていく。
それが私たち生き残ったものの使命です」
この曲に込められたメッセージです。



しあわせ運べるように 作詞/作曲   臼井 真


一.
 地震にも 負けない 強い心をもって
 亡くなった方々のぶんも
 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
 支えあう心と明日への希望を胸に

 響きわたれ ぼくたちの歌
 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように
 
二.
 地震にも 負けない 強い絆をつくり
 亡くなった方々のぶんも
 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
 やさしい春の光のような未来を夢み

 響きわたれ ぼくたちの歌
 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように

 響きわたれ ぼくたちの歌
 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように




郁代大学生の時、教育実習で担当した教え子からの作文が残っています。 


大浦いくよ先生へ    
         三年五組    村原じゅんこ


大浦先生が初めてわたしたちの教室に来た時、
私はやさしそうな先生だなあと思いました。
あってから何日かすぎてわたしは、給食の時間、
「大浦先生、もうみんなの名前おぼえた?」と聞きました。
大浦先生は、「もう、ほとんどおぼえたよ」と言いました。
わたしは、「じゃあ、わたしの名前は何でしょう?」と聞きました。
大浦先生は、「村原じゅんこちゃんだよ」と言いました。
「ピンポーン。大正解だよー」とわたしは言いました。
おぼえていてくれたので、とてもうれしかったです。
ドッチボールなどで遊んで楽しかったけど、もうお別れですね。
短い間だったけど、本当にありがとうございました。
さようなら。りっぱな先生になってね。


青春時代の四年間を過ごした神戸。
大学時代に住んでいた東灘区が、
阪神大震災で最大の被災地となったのは卒業した翌年のことでした。


病状が進み、残された時間が次第に少なくなってきたとき、
「お別れの旅」で郁代が最後に訪れたのが神戸でした。
その頃家の中では、もう五分間と歩けなくなっていたのに、
一人で出かけました。


24時間テレビの番組では、
この時郁代が実際にお会いした大学時代の親友が出演してくださって、
緊迫した病状を話されています。


24時間テレビ1
24時間テレビ2