明日香村の蘓我原さん

先週の金曜日、突然電話がかかってきました。
「テレビに出るので、見とって!」
電話は、蘇我氏ゆかりの向原寺住職、蘓我原(そがはら)敬浄さんからでした。
夫の親戚なのです。これまでもよくテレビに出られた方です。
最近まで明日香村役場に勤めておられ、この村の生き字引のような方、
テレビでは、村の小学生からも「そがはらさん」と親しまれていました。

NHKBS新日本風土記「飛鳥」の案内でしたが、
その日はよく見れなかったので、今日の再放送を見ました。
不思議な声に導かれながら、
連綿と続く歴史の物語の一員になっていく飛鳥の人々。
素朴な暮らしの中に息づく、1400年の古都物語でした。

「日本書記」に「向原の家を清めて寺とした」という一文が



蘓我原敬浄さん


〈番組内容〉
・・・・・
1400年以上前、推古天皇によって日本で最初に都がひらかれた奈良・飛鳥。明日香村を中心とする田園地帯は、
石舞台、高松塚、キトラ古墳など数々の遺跡が古代史を彩り、
今も土の下に未知の歴史が眠る神秘とロマンあふれる地だ。
飛鳥で長く暮らす人たちは、土の下から、謎の石造物から、
杜を囲む木々から、今も「不思議な声」が聞こえるという。
山々に囲まれ、そこから流れる川が棚田をうるおす飛鳥は、
豊穣の地・安住の地として100年にわたって都がおかれ、
日本で最初に仏教が大陸から伝わった。
今も人々は八百万の神と仏を家々で大切にまつり、猿石など謎の石造物に祈りを捧げ、藤原氏ゆかりの神社では華麗な神饌をつくり続ける。
そして古代の謎に魅せられた村人たちが、今も毎日、発掘に汗を流し土の中の古代史をひもといていく。
・・・・・

豊浦寺の跡地に建つ向原寺

我が国の最初の寺はこの地に築かれた。
豊浦の宮が造られる以前、この地には蘇我稲目(いなめ)が向原の家を構えていた時期があった。
日本書紀』は、552年(欽明13)の仏教公伝の記事の中で、次のように記している。
百済聖明王が送って来た金銅の釈迦仏を前にして、欽明天皇はこの外国の神を我が国が受け入れるべきかどうか群臣に諮問した。
群臣の間で意見が分かれたため、天皇は仏像を蘇我の稲目に授けて、
試みに礼拝することを命じた。
稲目は喜んで仏像をもらい受けると、小墾田(おわりだ)の家に安置して、仏道修行に励んだという。


「24時間テレビ」で郁代の番組が放送されたとき、
蘓我原さんから一番に電話がかかってきて
「見ましたよ。とても感動しました!」

あるときは、
社会福祉の大会があって、金沢に来たので・・・・」
と、突然我が家に訪ねてこられた時もありました。

ところで、蘓我原さんの従兄の夫は、
「自分にも蘇我氏の血が流れている」のだとか(?)

NHKBS新日本風土記「金沢」は、4月17日(金)今夜9時
           再放送は、4月24日(金)午前8時