青空とすきとおった風のみ





青木新門さんのH新聞連載“いのちの旅”は、


   往生とは・・・  
        青空とすきとおった風のみ


でした。


過去に納棺の現場にあって、
人は死んだらどこへ往くのだろうとの疑問に、
明確な回答を与えてくれたのが宮沢賢治の詩であったと、
青木さんはおっしゃいます。


賢治が極端な菜食主義を貫き、
結核壊血病を併発し高熱の中で生まれた作品。
文字にも出来ないし口に出しても言えないので
「目にて云う」と題された。


だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです


けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです


あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。


なんだ、そうゆうことだったのか。
死に直面した人のまわりでわいわいさわいでいる人たちを尻目に、
死に行く人は
「きれいな青空とすきとおった風の中」にいるのである。


往生とは
「きれいな青空とすきとおった風ばかり」の後世へ往くことなのである。
死を克服することは至難であるが、
少なくとも後世を信ずる人が側にいれば一番いいのである。


きれいな青空とすきとおった風ばかりの世界、
すなわち浄土なのだから。

                     (一部略)
郁代も、
「きれいな青空とすきとおった風の中」
にいるように思えてなりません。