自分が可愛い
どうにもならぬ苦悩を抱えて生きる望みを失っている時に、
仏の教えに出遇い、仏の教えに生きた詩人の浅田正作さんは、
『念仏詩集・骨道を行く』の中で、
「回心(えしん)」
自分が可愛い
ただ それだけのことで 生きていた
それが深い悲しみとなったとき
ちがった世界が ひらけて来た
とうたわれています。
浅田正作さんはすぐ近くの白山市(旧松任市)の方なので、
とても親しみがあります。
「自分が可愛い ただ それだけのことで生きていた」
という生きようは、私の日常では当り前のことで、
そのことが何も問題になることもなく生きてきました。
しかし、浅田正作さんはどうにもならぬ苦悩を抱え、生きる望みを失っている時に、救いの道を求め阿弥陀仏の深い願いに出遇いました。
仏の願いに出遇うことは、
私自身が阿弥陀仏の光に照らされるのですね。
全休さんが仏教ブログで
「自分は悪いとは思っていない」
と書かれていて、有難く思いました。
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どのような人であっても、
自分は悪いとは思っていない。
そう思っているものは一人としていない。
しかしこれはまったく親鸞聖人から
お叱りを受けた人のすがたである。
だから、一人ずつでもよいから、
自分こそが正しいという思いを
ひるがえさなければならない。
そうでないと、長い間、
地獄に深く沈むことになるのである。
このようなこともどうしてかといえば、
本当に仏法の奥底を知らないからである。
(蓮如上人御一代記聞書58条)
人の話しは聞きたくないが自分のことは熱心に聞いてほしい。
人を傷つけたことは覚えていないが人に傷つけられたことはいつまでも怨みに思って忘れない。
被害者であることは声高に叫ぶが自分が加害者になったときは相手の非をあげつらう。
どんなときも自分の無罪を言い立てて罪を正当化できる理由を探している。
蓮如いわく
「どのような人であっても、自分は悪いとは思っていない」と。
「自分こそが正しいという思い」
こそがエゴの本質、エゴに汚れきった人間の本性です。
※現代語訳・浄土真教学研究所(本願寺出版)
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