わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

ダイコンさんも育っています。


ラジオ放送東本願寺の時間 酒井義一師の 
 第4回  殺意のとなりにいる親鸞さんをお聞きしました。

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浄土真宗の宗祖・親鸞聖人だったら、暴力や育児放棄でわが子を死に至らしめてしまった親についてどう言われるでしょうか。
おそらく「あんな人間は失格だ」などとは言われないと思うのです。
 親鸞聖人の言葉を集めた『歎異抄』の第13章には、次のような言葉があります。

 「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。
また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」

私の心がよいから私は人を殺さないのではない。
縁がないから殺さないだけであって、
縁が熟せば、人は百人でも千人でも殺すかもしれない。
人は縁によってどのような行いをもしてしまう、そういう存在なのだ、
親鸞聖人は指摘されています。

 浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が、「人を殺してはいけない」と諭すのではなく、
なんとおどろくべきことに、
「縁さえ熟せば私も人を殺してしまうかもしれない」
と告白されるのです。
ここに、人間存在の持つ闇を、
深い悲しみをもってじっと見つめている親鸞聖人がおられます。
 
殺意というものは、私たちの日常に見え隠れしています。
ふとした日常で「あんな奴、消えてしまえ」という、殺意に似た気持ちを抱くことは、何も特別なことではありません。

そんなとき親鸞聖人が現れて、
「私もそうなのだ」と寄り添ってくださっているのではないかと思うのです。
人間が抱く殺意のとなりには親鸞聖人がはたらくべき世界がある。
殺意のとなりに、人間のすがたを悲しみをもって見つめる親鸞聖人がおられる。
 
人は時に殺意を懐くものです。
でもその殺意のとなりには、親鸞聖人がいる。
親鸞聖人がはたらくべき世界がある。
それが、いよいよ私たちが明らかにしたい世界です。
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師のお話は金沢東別院でお聞きしたことがあります。