白鳥伝説

先日書いた 「化鳥」 で、
「化鳥といえば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、死後白鳥になって飛び去ったという逸話がありますね」と、iireiさんがコメント下さいました。

兼六園にも日本武尊像があるので、雪づりと一緒に撮ってきました。
像の前はいつも通るのですが、
写真をアップすることはあまりなかったように思います。



ヤマトタケル伝説葛城に舞い降りた白鳥 より。
伝説のキーワードは「白鳥」です。

・・・・・(抜粋)
■ その後、蝦夷などを平定して、甲斐、科野を経て尾張国に帰還する。
そして、美夜受比売に草薙剣を残して、近江の伊吹山の神の討伐に向かうが、途中で出会った白猪を山の神ではなくその使いと誤解したため、大雨を降らされ、病に倒れる。
病身ながら三重を経て伊勢の能煩野にたどり着き、次の歌を詠んだ。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

■ やがて危篤に陥ったヤマトタケルは大和に帰ることなくその生涯を閉じる。
皇子死亡の知らせを聞いて妃や皇子が駆けつけ墓を造るが、
ヤマトタケルは白鳥となって飛び去る。
白鳥を追いかけると、河内国の志幾に留まったので、再びそこに墓を築き白鳥陵と名付けた。
その後、白鳥はその墓からも天空に向かって飛び去ったという。
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たまたま見つけた日本最古の銅像 日本武尊像 も、興味深く読ませて頂きました。

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高岡(富山県)の銅像を語るときに、まずお話したいのは金沢兼六園の真ん中に建っている「明治紀念之標」、通称日本武尊像(またの名を金仏(かねぶつ)様)です。
「明治紀念之標」は、明治10年(1877)の西南戦争で戦没した石川県の兵士400名を慰霊するために建てられました。

日本武尊天皇の血を引く人物であったためか、戦時中の金属供出を免れ、
戦後は進駐軍に「軍国主義的だ」と撤去の指示を受けましたが、
金仏様は仏であると言って食い止め今日に至っています
誠に運のいい銅像といわねばなりません。

この像は、世に「日本第一号の銅像」として知られています
九段の大村益次郎像が明治21年(1888)、上野の西郷どん明治30年の完成ですが、日本武尊像はそれよりさらに早く、明治13年(1880)に高岡の鋳物職人たちの手によって鋳造されました。(後略)
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〈余談〉
日本武尊像は、イグノーベル賞の素材にもなりました。

金沢大学理学部廣瀬幸雄教授は
「ハトに嫌われた銅像の化学的考察」で、
2003年「イグノーベル賞」化学賞を受賞しました。
兼六園日本武尊銅像に鳥が寄りつかないことをヒントに、
カラスを撃退する合金を作ったのです。