『停車場にて』


よくニュースに流れる痛ましい殺傷事件、
お知り合いのAさんが巻き込まれ被害者となられました。
加害者のBさんは引きこもりがちで、親身になって訪問されていたAさんを誰よりも頼りにしていたようなのです。

幸いにも刺された場所が“ほんのちょっと逸れた”ことで、
重傷でしたが命に別状はありませんでした。
Aさんは
「Bさんを恨む気持ちが少しもないのですよ」
とおっしゃり、かえって今後のBさんの身を案じておられます。

罪の裁きと赦しについて考えておられるようで、
「ハーンの『停車場にて』が思い出されるのですが、あなたも読んでくださいませんか」
「あなたも一緒にBさんのために祈ってくださいませんか」
と、遠方の入院先から電話をくださいました。

この短編はラフカディオ・ハーン小泉八雲)が明治26年(1893年)6月7日に停車場で目撃した実話で、加害者と被害者が対面する場面を描いています。

引用させていただきます。

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『停車場にて』

 きのうの福岡発信の電報によると、当地で逮捕された兇徒が、裁判のために、きょう正午着の汽車で熊本へ護送されるということだった。(中略)

 停車場に到着するのを見届けようと私も出かけたが、かなりの人が詰めかけている。
人々が憤るのをたぶん見聞きするだろうと思っていたし、一悶着起こりはしないかとすら恐れてもいた。
殺された巡査は周囲からとても好かれていたし、彼の身内の者も、おそらくこの見物人たちの中にいるはずである。
熊本の群集もとても温和とはいえないのである。(中略)

そのとき、警部が改札口の扉を押し開けて出てきて、犯人が現れる――大柄の粗野な感じの男で、顔は俯き加減にしており、両の手は背中で縛られている。
犯人と護送の巡査は二人とも改札口の前で、立ち止まった。
そして、詰めかけている人たちが黙って一目見ようと前の方に押し寄せた。

そのとき、警部が叫んだ。
 「杉原さん! 杉原おきびさん! いませんか?」
 「はい!」と声がすると、私の近くに立っていた、子どもを背負った細身の小柄な婦人が人混みをかき分けて進み出た。
この人は殺された巡査の妻で、背負っているのが息子である。
警部が手を前後に振るしぐさをすると、群衆は後ろずさりに下がった。
そうして、犯人と護衛の警官のためのスペースが出来た。

この空間で子どもを背負った未亡人と殺人者とが向き合って立つことになった。
あたりは静まり返っている。

 そして、警部がこの未亡人にではなく、子どもに話しかけた。
低い声だが、はっきりと喋ったので、一言一言が明瞭に聞き取れた。

 「坊や、この男が四年前にあんたのおとっさんを殺したんだよ。
あんたはまだ生まれちゃいなくて、おっかさんのお腹の中にいたんだからなぁ。
あんたを可愛がってくれるはずのおとっさんがいないのは、この男の仕業だよ。
見てご覧――ここで警部は犯人の顎に手をやり、しっかりと彼の目を向けるようにした――
坊や、よく見てご覧、こいつを! 怖がらなくていいから。
辛いだろうが、そうしなくちゃいけない。
あの男を見るんだ!」

 母親の肩越しに、坊やは怖がってでもいるかのように、眼を見開いて見つめる。そして、今度はしゃくり泣き始め、涙が溢れてくる。
坊やは、しっかりと、また言われたように男をじっと見つめている。
まっすぐにその卑屈な顔をずっと覗き込んでいた。

 周りの人たちも息を呑んだようである。
 犯人の表情がゆがむのが見えた。
後ろ手に縛られているにもかかわらず、彼は膝の上に崩れ落ち、顔を土埃の中に打ちつけて、人の心を震わせるような、しゃがれた声で自責の念に駆られて、しばらく嗚咽していた。

 「済まない! 許してくれ! 坊や、堪忍しておくれ! 
憎んでいたからじゃねぇんだ。
怖かったばかりに、ただ逃げようと思ってやっちまったんだ。
俺がなにもかも悪いんだ。
あんたに、まったく取り返しの付かない、悪いことをしちまった! 
罪を償わなくちゃならねぇ。死にてぇだ。
そう喜んで死にますとも! 
ですから、坊や、お情けと思って、俺を許しておくんなせぇ!」

 男の子は静かにまだしゃくり泣いている。
警部は肩を震わせている犯人の男を引き起こした。
黙りこくったままだった人々は、左右に分かれて道をあけた。

するとそのとき、まったく突然に、群衆がみなすすり泣き始めたのである。

銅像のような表情をした護送の警官がそばを通りすぎるとき、私は以前にも見たことのないもの――ほとんどの人もかつて見たことのない――そして私もおそらく再び見ることのないであろう――日本の警官の涙を目撃したのである。
(後略)
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Aさんは
法然さんにであえてよかった。親鸞さんにであえて有り難い」
と日頃おっしゃっておられます。

本を読まれ
「郁代さんにあえてよかった」
とも言ってくださいます。 

 「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。 
また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」
                          『歎異抄』第13章
が響いてきました。

Aさんの一日も早い回復を願っています。

『停車場にて』全文はこちらです。